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関東の神社めぐり プチ神楽殿掲示板
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筑前・肥前紀行 2日目(櫛田宮) ( No.[10]11 )
日時: 2009/12/12 22:10:36
名前: 御津垣  ID: qa/kzJVI
編集: 【回数】 1回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/12/12 22:14:00

「櫛田宮(くしだぐう)」

−御祭神−
 櫛田三柱大神
  東御座: 須佐之男命(高志大明神)
  正面御座:櫛稲田姫命(櫛田大明神)
  西御座: 日本武命(白角折大明神)

−御由緒(櫛田宮略記より)−
 ●肥前國有数の古社
  肥前風土記によると、第十二代景行天皇が巡行された折、当時のこの地には不幸が続いて
 人民苦しみ困窮していたが、神を祭りなごめたらその後は災厄もなくなり、神の幸をうける
 平和郷となった。このことからこの地を神幸(かむさき)の里と名付けられた。
 これが後に「神埼」となった。(『神埼発祥の地』の記念碑も神社裏に建っている。)
 神社の創建はこの時であり、吉野ヶ里遺跡とおよそ同時代の弥生時代後期にあたる。
 このように櫛田宮は創建以来千九百年余にもなる県内でも有数の古社である。
  櫛田宮付属の神宮寺としては櫛山金剛院があった。弘仁八年(八一七)勅命により国中の
 盲僧を集めて勤行をした盲僧の法頭で明治維新まで続いた。末寺五院のうち安居院が
 改宗して現存する。
  平安時代。今の神埼市から三養基郡みやき町あたりまでは皇室領の三千町歩もある荘園で
 「神埼御荘」と尊称されていた。その荘園の総鎮守が櫛田宮であり、南北各一里の地に鎮座
 する高志神社・白角折神社とは三所一体の神社で「三宮一徳、三所明神」と称した。
 また、百八十九もの末社があったとされ、当時の壮大な規模をうかがい知ることができる。
  昭和五十五年秋には中世史ご研究のため浩宮様(現皇太子殿下)が御来宮され、神社の
 古文書を親しく御覧になった。櫛田宮の古文書は、平安末期の大治元年(一一二六)のもの
 をはじめ数十通現存する貴重なもので、代々社家に伝えられてきたものである。
  吉野ヶ里町田手の東妙寺は、弘安元年(一一七八)勅願創建寺であり技能者集団をかかえ、
 櫛田宮の修理別当を勤める例であった。
  弘安四年(一二八一)蒙古来襲。櫛田宮より末社櫛田神社へ神剣を移して異賊退散を祈り、
 霊験あらたかなものがあった。ところが幕府の命により戦功の武士四百余人に神埼御荘・
 当宮神領は論功行賞として配分されたため、「九州の大社」と称せられた当宮も次第に衰退
 して行くこととなった。


神崎市鎮座の古社。社格は県社。
福岡市街地鎮座で、「祇園山笠」で有名な櫛田神社の元宮でもあるとされる。
(博多の櫛田神社には、伊勢の式内社 櫛田神社の分霊勧請説もある。)


さて、與止日女神社を参拝した後、予定通りに佐賀市街の「佐賀神社」に向かう。
こちらも2度目の参拝となる。市街に入るまでは順調であった流れも、中心部に
近づくほど交通量の増加により混雑の度を深めていった。
それでも、予定通り佐賀神社のある通りに到着。左に見える神社の垣根には
「七五三」の幟が多数はためく。付近を歩く人数も多い。
なにより、駐車場入場待ちの車が列を作っている。

「はあ?なんですかこの状態」自分の目的からは大迷惑な状態と言ってもいい。
やっと駐車場への入口に差し掛かる。表参道は人と出店で、山の手線のラッシュを
想像させる状態である。「はい。リジェクトです。」さようなら〜。
誘導員に「参拝やめる」と告げて、入口で旋回し退去する。
大変無駄な時間であった。そして改めて思う。「ダメだ。この時期の参拝は。」
次回は、長崎の諏訪神社と合わせて参拝する計画を立てよう。

貴重な時間を無駄にし、多大な疲労を蓄積しつつも、自分は次の目的地
神埼市の櫛田宮に向かうことにした。

櫛田宮に到着は、14時ちょっと前。
珍しく表参道側から来たのだが、駐車場がない。なんか言われるかな〜と
思いながらも、裏手の市役所の駐車場に停めて参拝することにした。
(すいません 。ちなみに神社の駐車場は正面左手、国道34号側から入る)
佐賀では晴れていたのに、すっかり曇り空。やはり時間のロスが悔やまれるが
どうしようもない。また来ればいいだけ。

さて、駐車場の心配もあるので参拝を済ませよう。
拝殿には七五三の祈祷客がいる。お邪魔にならないように参拝させてもらう。
ご神職と、その奥さんらしき方が奉仕をしている。
また、境内ではおじいさんが集めた落ち葉で焚火をしているような状況。
まだ御祈祷が終わらないだし、社務所には人がいないし、先に写真撮影を行う。
拝殿を一周後に、奥さん(と思う)が拝殿から出来きたので、御朱印を
お願いしてみる。拝殿の中のご神職に相談をする。ご神職が言うには
社務所に人がいるのでそちらで対応して頂きたいとのことであった。
「あれ?」という感じである。

社務所の方に伺う。挨拶をするとさきほどのおじいさんがでてきた。
もしかして、この方 宮司様? 失礼なことを想像していたもんだ。
さて、改めて御朱印をお願いする。ちなみに手渡す朱印帳は
「博多櫛田神社」のもの。御朱印を書いていただいている間に、先に頂いた
由緒書をざっとながめる。白角折神社のことを聞いておけばよかったと
今更思うが。。。こちらが兼務しているのかな〜?

その後、無事に御朱印を頂く。また、古文書に押されていたとう「肥前神印」
という御朱印を説明が記載されている別紙で分けて下さった。
説明を以下に記載しときます。

−古文書の朱印について−
 櫛田宮に伝える古文書のうち、最も古い大治元年三月(西暦一一二六年)の
櫛田社大宮司補任状は、平安時代白河上皇御領地の神埼御庄庁で、全紙面に
『肥前神印』の朱印二十九顆を捺してある珍しい古文書です。
この印を覆刻しました。
 なお、櫛田宮古文書は、昭和四十八年二月一日神埼町重要文化財指定、
昭和五十五年十一月二十八日浩宮徳仁親王殿下が当宮にて御台覧あらせられ
ました。


天候も怪しいし、これから向かうのは山なので、お礼を述べて
立ち去ることにした。車も心配だったし。

さて、次に向かうは同じ市内の、背振神社である。
いよいよ最終目的地である。


つづく
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