- 日時: 2009/10/17 00:39:08
- 名前: 御津垣 ID: mq15Tg0Q
- 編集: 【回数】 3回
【名前】 御津垣 【最終日時】 2009/10/19 21:44:28
- 相変わらず寝床からのアクセスです。
ご心配をお掛けしてますが、とりあえず鞭打ち(もっともっと♪) いや 、ムチ打ちは大丈夫です。スピードもなかったので。 うーん、当たるということで、宝くじでもでっかく当たらないかな〜。 今度九州行ったら、宝当神社に足をのばしてみようかな?
さて、今回は、東北紀行で一度も載せてない「駒形神社里宮」です。 奥宮(式内社)に対する里宮になります。 なんで、そんな当たり前のことを述べているかというと、 それなりの理由があります。
まずは、こちらをご覧下さい。簡単な関係を示してます。 【伊達藩】 奥宮 − 西根駒形神社 → 水沢駒形神社
【南部藩】 奥宮 − 岩崎駒形神社
※1岩崎駒形神社側の縁起 胆沢郡の縁起は、日本武尊説・上毛野胆沢公説等であるに対して、 和賀郡の縁起では、坂上田村麻呂の愛馬にまつわる伝説をもとにしている。 ダ・ダ・スコという岩手のタウン誌からの孫引きになりますが、 (資料の典拠は、「煤孫寺(古館神社)由来紀」) 「延暦二十年 坂上田村麻呂が東夷征伐に当たりこの地に陣したとき、 秘蔵の葦毛の愛馬が突然死んだ。田村麻呂は深く憐れんで塚を築いて葬り、 祠を建てた。嘉祥三年廻国中の慈覚大師がその由来を尋ね馬頭観音像を 安置※2し、さらに西南の高山を見つけ、それが和賀・江刺・胆沢三郡の 境と聞くと、三郡の鎮として馬頭観音をその山に移し、駒ケ岳と名付けた」 とあります。
※2経塚山になります。 ここは、引用ではありません。
ご存知とは思いますが、明治まで伊達・南部の両藩は、 20年に一度、交替で奥宮の造営をしておりました。
明治三十六年、水沢の遥拝所は、山頂より遷座し本社となり 西根の里宮は、本社の境外末社となった。 同年、奥宮の所有は、水沢の駒形神社であることが確定された。 それ以降、和賀町岩崎の駒形神社との関係は薄らいでいった。
さて、話を現在に戻します。 奥宮の造営が来年にあることは、すでにご存知であると思われるが、 現在この計画に関して、長らく関係が途絶えていた3社が合同で実施しよう としていることは驚きに値し、また大変喜ばしいことである。 100年を越える歳月を経ても協力できる。非常に難しいことです。 計画の成功と、全崇敬者に幸有らんことを祈りたい。
写真 左: 金ヶ崎町西根 駒形神社 中: 北上市和賀町岩崎 駒形神社 右: 水沢 駒形神社境内 遥拝所碑
次回は、「氷上神社奥宮」です。
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