- 日時: 2011/01/17 13:29:02
- 名前: 御津垣 ID: 1D3HAbWc
- 編集: 【回数】 9回
【名前】 御津垣 【最終日時】 2024/08/31 23:49:37
- 薩都神社中宮・奥宮・磐座(いづれも御岩神社境内社)
【御祭神】立速日男命(速経和気命) 【駐車場】あり
常陸国風土記 「久慈の郡」抜粋 ------------------------------------------------------------------------ 東の大き山を賀毘禮の高峯と謂ふ。 即ち天つ神有す。 名を立速男命と稱ふ。一名を速経和気命なり。 本、天より降りて、即ち松澤の松の樹の八俣の上に坐しき。 神の祟、甚だ厳しく、人あり、向きて大小便を行る時は、 災を示し、疾苦を致さしめければ、近く側に居む人、 毎に甚く辛苦みて、状を具べて朝に請ひまをしき。
片岡の大連を遣はして、敬ひ祭らむるに、祈みてまをししく、 「今、ここに坐せば、百姓近く家して、朝夕に穢臭はし。 理、坐すべからず。宜、避り移りて、高山の浄き境に鎮まりますべし」 とまをしき。
是に、神、ねぎ告を聴きて、遂に賀毘禮の峯に登りましき。 其の社は、石を以ちて垣を為し、中にやから甚多く、 また、品の寶、弓・鉾・釜・器の類、皆石と成りて存れり。
凡て、諸の鳥のへすぐものは、ことごとにとく飛び避りて、 峯の上にあたることなく、古より然為て、今も同じ。 即ち、小水あり。薩都河と名づく。源は北の山に起り、 南に流れて久慈河に入る。 ------------------------------------------------------------------------
「賀毘礼の高峰」について諸説あることも既述であるが、 地理的・考古学的見地から御岩山が有力な遺称地となっている。
この御岩山中には、式内社薩都神社の中宮や奥宮がある。※ 明治十五・六年頃までは、里野宮の薩都神社との間で、祭礼神事も行われていた。 九月には山に入って山ノ神となり、四月には里に出て田ノ神となる。 山宮と里宮の関係を伺い知ることができる。
奥宮は石祠であり、現在ではそこに至る道を見出すことはできない。 元々この場所が、薩都神社跡地であったと言われており、 往古は、中宮〜奥宮〜磐座と連なる参道があったのだろう。 奥宮の場所であるが、祭祀が行われていたと思われる平地ではない。 石祠の左側には石組みの名残なのだろうか、石が不自然に転がっていた。 しかし神社跡地とは言われているが、なぜこの位置なのかは大いに疑問がある。
奥宮より上部は、山様も急峻となるため、 もしかしたら祭祀場所が降りてきたのかもしれない。 磐座への祭祀からの変化、岩上→岩陰→半岩陰・半露天→露天のような 祭祀形態の変化と考えればある程度は納得できるのでないだろうか。
ここで結論は出るわけではないが、 山頂部:奈良〜平安時代初期頃の須恵器、土師器の小破片 奥宮付近:中世の常滑焼四耳壺 など祭祀で使われたと思われるものが、見つかっていることは事実のようである。
奥宮から磐座に向う。 古い境内図には「薩都大神」「薩都神社奥の院」「薩都の大岩」と 記載されているこの磐座にも、嘗ては案内板があったようである。 しかし、残念なことに経年の為、案内板の文字は全く消えており それがなにを示すものなのかは推測するしかない状態である。
自分の計4回に亘る磐座の所在確認は、 『筑波書林「御岩山」』の略図(P.18/P.92〜93)を参考に行っている。 把握していた位置情報は、「五丈八尺岩」「御岳神社」と「姥神」のみ。 P.18の略図では、奥宮から磐座までの道の存在が記載されているが、 上述の通り現在ではそれを見出すことはできない。 磐座に伺うには、やはり「姥神」経由となる。
やがて、岩場の尾根に着く。ここは登山道の十字路である。 イワウチワの群生地でもあり、3月末〜4月上は可憐な花を見ることができる。
尾根の裏側には、高皇産霊命他二神の石柱があり、 また「天狗ののぞき」と言われる大ハングが見える。 その先には、別の岩場「五丈八尺岩」がある。
左側は、御岩山山頂方向の登りである。 ロッククライミングまでは行かないが三点確保の上 安全に登らないといけない岩場となっている。 岩場を登り切れば、先ほどの「天狗ののぞき」の上である。 ロッククライマーがいなければ、そこからの眺めも楽しみことができる。 少々のスリルと展望を味わった後は、わずかで頂上である。
右側には、立岩が見える。これは「梵天岩(御神酒岩)」と言われるらしい。 その下(その先)に見える岩が、『薩都神社の磐座』である。 石甕なるものの確認ができなかったのが残念であるが、 以上が自分が所在を確認した内容である。
ちなみに磐座の先は、一般的な登山道は途絶える。 林業か営林署の方が歩いたことによってできた跡のみがあるだけである。 裏参道のショートカットも可能なようだが、急峻な為、一般登山者にはお勧めできない。
※ 中宮、奥宮、磐座の呼称については、書き手によって異なるようです。 ここでは、便宜上、以下のように定義します。 中宮:御岩神社裏参道沿いにある「薩都神社」 奥宮:嘗ての薩都神社跡地にある「石祠」。 磐座:御岩山188神のうち167番目の「薩都大神」
(写真) 左:薩都神社「磐座」 中:薩都神社「中宮」 裏参道沿い 右:薩都神社「奥宮」
自分の写真の使用は自由ですが、 自他の区別の為、どこからの流用かは記すべきだと思いますよ。現地を調査されているとうたっているならなおさらです。 延喜式神社の調査
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