- 日時: 2017/07/25 18:09:04
- 名前: 御津垣 ID: mHPS9yjg
- これは、結構前の『御岩山中の旧跡めぐり』オフ会に関するレポートです^^;
いまさらなんですが、最近過疎化が著しいので。
参加者: 【関東の神社めぐりプチ神楽殿】神楽さん、赤城おろしさん、御津垣 【いざ、神社!!】金澤さん 【山地の住人】りんさん 【たんぽぽろぐ】たんぽぽろぐさん 【その他】紋次郎さん
開催時期: 201x.4上旬
御岩山については、何度か書いているので 詳細は割愛させて頂きたいが、以前と比べると山中の雰囲気は大きく変わっていた。 昨今の「パワースポットブーム」もここまで来たかという感じである。 森林浴とかマイナスイオンとか旧来からあるものなら分るが、 保守的な自分としては「宇宙から光ってみえた」レベルはお手上げである。 救いを求めて等の人もいるでしょうから、全部を否定するつもりはないのですが。。。 ただ、少なくとも山中ですので、足元くらいはしっかりしたものにしてほしいし、 旧来からの信仰の方にも配慮したお参りの仕方を心がけて頂きたいと思う。 (自分もお互い様という気持ちを忘れないようにしないと(-_-;))
冒頭から話が逸れてしまったが、ことの起こりは 「りんさんのブログ『山地の住人』」が薩都神社の奥宮について触れていたこと。 その縁で、先輩面をきかせる訳ではないのだが、ご案内させて頂くこととなった。 どうせ案内するならと、知り合いの方々にも声を掛けて、御岩山だけでなく高鈴山まで 神社や旧跡だけでなくイワウチワなど花も愛でる会として実施することとなった。
高鈴山は、水戸藩領四高山の一座といわれ、田中澄江著『花の百名山』では センブリの山と紹介されている。残念ながら花期は8月以降であり今回は目にする ことはできない。アンテナがある頂上部のベンチ付近での会食を目的とした。
開催は4月上旬。 残念なことに当日は小雨。足元が悪いこともあり相談の結果、 高鈴山へは行かず御岩山のみの短縮行程(※行程詳細参照)とした。
※行程詳細<注1> 御岩神社⇒賀毘禮神宮⇒天の岩戸⇒イワウチワ群生地⇒薩都磐座 ⇒御嶽神社⇒御岩山頂上⇒賀毘禮神宮(奥宮)⇒姥格光神社 ⇒薩都神社(奥宮)⇒薩都神社(中宮)⇒御岩神社
<注1> 状況によっては立入禁止となる場所もあります。 神社側の指示に従って行動をお願い致します。
御岩神社参拝後、拝殿横から表参道の山道に入る。 30分程度で賀毘禮神宮だが、直前は急登になっている。 スリップを心配したが、幸いぬかるんではいなかった。 ------------------------------------------------------------------- 【賀毘禮神宮】 御祭神:天照大神、邇邇藝命、立速日男命
玉垣が整備され、以前と比べると見違えるようだ。 石段前の磐座「今上関(こんじょうせき)」のイワウチワは残念ながら シーズンを過ぎていた。条件がよければこの場所でゆっくりとイワウチワを 愛でてもらおうと考えていたのだが。。。<注2> <注2>イワウチワの群生地は少し奥にあるので、 山道に不慣れな方はここで観賞されるといいだろう。
光圀公と斉昭公の歌碑の前には、「御多満理池(おたまりいけ)」がある 往古は水があり、光圀公が「大日本史」編纂開始時に、硯の水として使ったといわれる。
御祭神は三柱となっているが、茨城県神社誌では、立速日男命のみの記載である。 後に合祀されたものであろうか。 さて、その一柱である立速日男命は、常陸国風土記の久慈郡の条では 重要な位置を占めており、今回の会では避けては通れない箇所でもあった。 この御祭神について様々な考察がなされているので数例を栞に紹介しておいた。 資料を見ると鹿島神宮との関係も深い地域でもあったようだが、 城里町のように興味深い伝説のようなものは今のところ見聞きしていない。 -------------------------------------------------------------------
賀毘禮神宮参拝後、さらに上部を目指す。 ここから「天の岩戸」までは沢沿いの狭い道を進む。 賀毘禮神宮から20分弱で「天の岩戸」につく。 ------------------------------------------------------------------- 【天の岩戸】 御岩山の霊場である。 茨城県神社誌には、賀毘禮神宮の中宮は「大巌石窟内」という記述があり 御岩神社の古境内図にはこの場所に中宮との記述がある。
昔訪れた時には、霊場の案内板があったのだが、見出すことはできなかった。 この辺りは流紋岩岩頸である。苔生した場所もあり足を滑らすと危険なところでもある。 流紋岩岩頸とは、海底火山の噴火で噴出したマグマがほぼ流れることなく固まったものらしい。 ※ネット情報ですので流用は計画的に。 -------------------------------------------------------------------
イワウチワ群生地、及び薩都神社磐座に向かう。 途中「真崎稲荷大神」「白狐稲荷大神」「伏見稲荷大神」などの霊場を通過するが、 詳細は知らないので手元の霊場図をもとに軽く紹介するレベルである。
天の岩戸より15分程度でイワウチワ群生地に到着する。 上述の通りすでにイワウチワの季節は終わっていた。 群生地の境を示すトラテープを頼りに足を踏み入れないように 「薩都大神」薩都神社磐座に向かう。群生地で観賞して頂いてからのつもりだったので 計画では余分に時間をとっていたが、2分もかからずに磐座上部に到着する。 以前、タカヒロさんと伺ったときはここから急坂を下りて磐座下部に行ったが 今回は安全を考えて「石ノ御幣」まで戻って回り込むことにした。 ------------------------------------------------------------------- 【薩都大神】 御岩山の霊場であり、薩都神社磐座である。 水府志料(水戸領地理誌)には、以下のような記述を見つけることができる。 『~又大岩高一丈三四尺余、廻リ五丈余アリ、中間ニ方二尺許ノ穴アリ、 是薩都明神ノ奥院ト云、其側ニ二ツノ石甕アリ、明神ヲ祭ルニ、 此カメニテ酒ヲ造リ供フ、ソノ甕古ヘハ陶器ナルガ、其後石ニ換タルトゾ~』
以前、神楽殿掲示板で本磐座である証明を、 「梵天石」「石ノ御幣」「天狗ノノゾキ」「五丈八尺岩」等の位置関係に 求めていたが、 上記の文中にある 『廻リ五丈余アリ、中間ニ方二尺許ノ穴アリ』という特徴や この下の谷で発見された石甕の破片からもこの岩を『薩都大神』として 間違いないであろう。 石甕の話や、磐座の特徴の話をして 早々に五丈八尺岩経由で頂上を目指すこととした。 -------------------------------------------------------------------
薩都大神から、五丈八尺岩の脇を上部に目指す。 今回の行程で一番危険な場所であり、下見前は下りのルートに用いようと 思っていたが危険なので全体の行程を変えることになった場所でもある。
五丈八尺岩にもロッククライミングのルートがあって結構有名であったようだ。 ところどころハーケンの後が残り痛々しく見える。 禁止となる直前では、岩を傷つけない手法で上るようにしていたようだが。。。
五丈八尺岩を過ぎるとトラバース地帯になるが、 道が狭く、また斜面に濡れた枯れ枝が覆っており、深くはないが谷に接している。 慎重に歩いてこえた先は、この行程で唯一の岩のぼりである。 ゆっくりと確実に登ってもらう。 最後尾からの注意は経験者のタカヒロさんにお願いした。
薩都大神から20分弱で御嶽神社に到着する。 ここからは比較的安心できるエリアである。 小休止後 御岩山頂上・斎庭付近の賀毘禮神宮奥宮を目指す。
賀毘禮神宮奥宮の脇に立石が、話題の「光る岩」である。 自分たちが到着したときには人はいなかった。 昔は草に隠れているくらいの人ぞ知る場所であったが、今では綺麗に刈り払いされている。 昨今の巷のブームを肴に、この場所で軽く昼食を摂ることにした。
そういえば、ルート取りや、天候も悪いこともあり、人と会うこともなかった。 ただ話題の場所なので、昼食の間に家族連れや、妙齢の女性グループなどが登ってくる。 みんな目指すのは「光る岩」であるが足元がね。。。今日は特に危ないでしょうに。
天の岩戸下を越え、姥神跡(姥格光神社)より裏参道に入る。 ここは重機も入っていることもあり道幅は広いのだが、小石が多く意外と歩きづらい。 まもなく薩都神社奥宮に到着する。 天候と立地の関係で大分暗い。 撮影しなおしには各自で来て頂くしかないだろう。マムシのいない時期限定で。
薩都神社奥宮より、薩都神社中宮を目指す。 途中、佐竹氏の墓などを見学する。 小野崎氏の墓とする説もあるようだ。 中宮参拝後に改めて御岩神社にて参拝し、駐車場で着替える。
この後、日立の「湯楽の里」で軽く懇親会をし、解散することになった。 栞は、資料ばっかりで考察が少なくちょっと面白みに欠けてましたね。 失礼しました。また、ご参加頂いた皆さん有難うございました。
【碧風的備忘録】のNachtigall Blaueさん 今回は残念でしたが、またお誘いします。 そちらに伺った際は、またよろしくお願いします。
最後に、栞表紙の写真使用の許可、下見時の相談などご対応頂きました 御岩神社 大塚宮司様に改めて御礼申し上げます。
写真: ・しおり表紙 ・新編常陸国誌(国会図書館近代デジタルライブラーにて閲覧・ダウンロードが可能) ・立速日男命の関する資料その一部(ふるさと文庫「佐都大明神成実縁記」)
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