- 日時: 2011/02/20 00:05:00
- 名前: 御津垣 ID: 2N45qF3I
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【名前】 御津垣 【最終日時】 2016/01/23 16:08:32
- 賀毘禮神社(御岩神社境内社)
【御祭神】立速日男命(速経和気命)、天照大御神、瓊々杵尊 【境内神社】皇国社(歴代天皇)、水神社(水速女命)、 七合目以上の岩窟至る処に天神地祇を祀る。 【祭祀】例祭 2月11日 【施設】奥宮(石祠)、中宮(大厳石窟内)、下宮 【駐車場】あり
御岩神社では、先の薩都神社中宮を「裏参道奥宮」、 この賀毘禮神社下宮を「表参道奥宮」と称している。
両社ともに主祭神は「立速日男命」である。 ただし賀毘禮神社は、立速日男命以外に 「天照大御神」、「瓊々杵尊」の2柱も合わせて祀られている。
創建の時期や具体的な由緒などは不明。 御岩神社境内では、薩都神社が最も古いことは間違いない。 境内図などの情報では、天保十二年(1843)には存在していたことは 分かるという程度である。※1
茨城県神社誌には、このような記述がある。 『海抜624米、奇岩怪石の変化に富む神体山で、葦原山、又阿女能加具夜麻とも呼ぶ。 賀毘礼大神宮に知られた加波山と並ぶ両部修験道場であった。』
この文意をどうとるか? 「賀毘礼大神宮と知られ、(筑波連山の)加波山と並ぶ両部修験道場であった」 「賀毘礼大神宮で知られる(御岩山西峯の)加波山と並ぶ、両部修験道場であった」
筑波連山の加波山もまた、水戸藩の主要な修験道場である。 また、御岩山にも加波山といわれる霊場がある。 それは薩都神社磐座の上部にあたり、御岩山では西峰にあたる感じの加波山から薩都神社中社は 支陵線延長上にあるのである。 賀毘禮神社奥宮は、東峰であろうか。。。
後者であれば、出羽三山勧請(1630)の時期などから創建の時期もある程度は 推測できそうであるが、前者ではお手上げである。 いづれにしても材料が乏しい現状としては、 いたずらに仮定な話を語るべきではないと判断し、ここでは記載はしない。
さて、賀毘禮神社の境内であるが、以下のような歌碑がある。 『国の中はびこる草根刈り絶ちて君が千代田に返しまつらむ』光圀 『光圀の遺せる跡を吾れ訪えば朝廷を守る証しなりける』斉昭
またすでに水は涸れているが、「金上関御多満理池」が歌碑の前にある。 光圀公が「大日本史」編纂開始時に、硯の水として使ったといわれている。
※1 天保十二年賀毘禮山検地図での情報 賀毘禮大神宮神地反別百参拾九町六反五畝拾四歩 御岩山大権現霊場反別四拾五町四反六畝拾五歩 これには、薩都神社も賀毘禮神社も掲載されている。
(写真) 左:賀毘禮神社「下宮」 表参道沿い 中:賀毘禮神社「奥宮」 右:賀毘禮神社「中宮」 天岩戸
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