- 日時: 2010/09/10 00:39:24
- 名前: 御津垣 ID: rjH3b9vI
- 編集: 【回数】 2回
【名前】 御津垣 【最終日時】 2010/11/26 01:11:04
- 翌3:15起床。
部屋の窓に張り付き外の様子を伺う。 どうやら天気に問題はないようだ。
御前峰に登っていく灯りが2、3。 すでに数名が移動を始めている。 頂上での渋滞を避けるためにも早めに出発する必要がある。
手元に置いた荷物をまとめ、廊下のザックに入れ、 レインウエアを防寒着代わりに羽織る。 さあ、出発である。
上空には月が出ている。 ヘッドライトは用意していたが、全くその必要はなかった。 今回3回目の頂上である。 4:00過ぎにはすでに頂上に着く。 先客は5人程度か、少々早すぎた感がある。
奥宮の東側の岩場で、お日の出を待つことにした。 30分もすると、室堂から頂上に向うホタルの群れが現れる。 頂上からは聞こえなかったが、祈祷殿の木槌の音を聞いて登ってきたのであろう。
やがて、頂上はお日の出を待つ人たちで埋め尽くされる。 ご神職も2名ほど登られてきた。 袴履きの装いであるが、大変な速さであった。
さて、お日の出を待つ間に先ほどのご神職から 白山連峰や、まわりの山々についての説明がある。 乗鞍岳、御嶽山、穂高、槍ヶ岳、立山、剣岳。。。 自分でも名を知る山々が眺望の先にある。
また、周りにいた常連達の話によれば、稀にみる天候条件らしいが (写真を拝見するに、すもも屋店主さんの方が天気がよさそうだが) 毎回同じことを言っているのではと考えてみたりしていた。
お日の出は、5:27。 穂高の向こうからそのお姿を現す。 ご神職の掛け声のもと、登山者全員で万歳三唱となる。
この後は奥宮での神事を拝見することにした。 ご祈祷、参拝の方々が集まってきている。 玉串奉奠には、榊は使わない。 あの名称はなんと言うのであろうか。 いずれにしても、やはり白山の頂上で 榊を用意するのは難しいことなのだろう。
奥宮の西側には、御前峰が影を落としていた。 今日もよい天気となりそうである。
昨日夕日撮影時にあった一夜を頂上で過ごした兵とも 再び会うことができた。とくに顔色もいいし、問題はないようだ。 自分は遠慮したい。
すでに多くが頂上を後にした。 自分も朝食に間に合うように下山することにした。
室堂食堂は、すでに渋滞である。 時間が決まっているので、仕方なしにその列に並ぶ。 意外と回転は速いようで、すぐにありつくことができた。
今日は、関東に戻らなくてはいけない。 ただ、麓の白山比盗_社と、菅生石部神社には伺いたい。 室堂でゆっくりしている暇はないのである。
7:20室堂を発つ。 下山は予定通り「観光新道」経由での別当出合とした。 やがて、ボコ岩。 先に着いた親子が、話をしている。 父親「どっちにする。楽なら左の『砂防新道』。 眺めがいいけどちょっとつらい右の『観光新道』。どうする?」 男の子「じゃあ、楽な方」(即答) 父親「え?こっちは登ってきたほうだよ。それでもいい?」 父親は、観光新道を使いたいようだ。 少々、話の組み立て方を間違えたように思える。
さて、その結果も気になるところであるが 自分は観光新道を選択し、その場をあとにする。
観光新道であるが、砂防新道の上部とそれほど眺めは変わらない気がする。 確かに、花の季節であれば道のすぐ脇にその姿を見ることもできるので あろうが、如何せん道幅が狭い。 とても足を止めて花を愛でるという感じではない。 場所によってはすれ違うのさえ大変な状態である。
当初の名称付与の条件とは違うのであろうが、 現状では『観光』というネーミングから得られるイメージとは かけ離れている気がする。 自分であれば、上り下りともに砂防新道を奨める。
さて、途中の殿ヶ池避難小屋に到着は8:20。 ここで小休止とする。空が青い。強い日差しが照りつける。 二の腕や、襟元がヒリヒリする。日焼け対策を怠ったツケがありそうだ。
避難小屋を出発し、やがて別途出合への分岐点に差し掛かる。 ここからは更に急な下りとなる。途中3ヶ所登山道が崩落している。 観光というイメージからは騙されてはいけない。 そして、やはり地図で事前に確認をしておくべきであったと 反省ばかりである。
別当出合着は10:01。1分が悔しい。
バスを待つこと数分。市ノ瀬に。 日曜であるが大変な駐車数である。 自分は着替えて、白山市街に近い温泉に向う。 途中の白峰等にも立寄湯はあるが、600円と少々高い。
「めおと岩温泉」。確か380円くらいであったと記憶する。 ただし、石鹸やシャンプーは備え付けのものはないので自前のものを 用意する必要がある。 11:00開店らしく、20分程度外で待つことになったが、 そのあたりはご愛嬌であろう。
さて、入浴後。白山比盗_社に参拝へ。 (ちなみに、日焼けが痛かった。) 前回参拝は、真冬の1月。雪景色もよいのであるが どちらかといえば、自分は緑と光の季節のが好みである。
参拝後、加賀二宮の菅生石部神社に向う。 到着は、14:57。時間的にも他に予定していた神社への参拝は難しい。 この地でゆっくりさせてもらうことにする。 御朱印を分けて頂いた後、宮司様とのお話のなかで、白山や百名山の お話をしたところ、著者の深田久弥はご当地(大聖寺)の出身であり、 街中には「深田久弥 山の文化館」があることを教えて頂いた。 地図も頂いたことなので、折角なので足を延ばすことにした。
自分は、深田久弥の著書に目を通したことがないので、 なんとも言えないのであるが、 「百名山と言っても、勝手に決めたことだろう?」 そんな感情は正直持っていた。
文化館では、色々職員が教えて下さったが、 自分があまりに知らないので残念そうであった。 最後は早めに切り上げた感があり、 自分も少々残念な印象であった。
なにが百名山については、言及を避けたいが、 遺稿等を拝見するに山岳文学としては、よい表現があったと思える。 しかし、俳人となるといささか自分好みではなかった。 興味のある部分しかのぞかなかったが、それなりの時間が経っていた。
さて、関東に戻ることにする。 大分下っていることもあり、戻りは東名を使用することにした。 途中、疲れからPAで寝てしまう。 自宅到着は翌5:00過ぎ。 十分寝ていたので、仮眠後出社となった。
これにて 今回の報告は終了となる。
写真説明 御前峰頂上 お日の出を見る人々 白山比盗_社本宮 菅生石部神社
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