- 日時: 2010/06/12 10:19:47
- 名前: 御津垣 ID: 5wEtGLqU
- 編集: 【回数】 2回
【名前】 神楽 【最終日時】 2017/03/10 18:51:18
- 今日は夜勤明け。
折角の晴れだし、以前写真の撮りなおしに靖国神社に。 前回は、守衛がなんだかんだと煩かったが(何様?)、今回は問題なく完了。 そうそう、22年度の東京五社巡りの御朱印案内がありました。 どこも一生懸命です。
それから、帰るのがもったいない(眠いけど)ので 神田明神に歩いていくことにした。
ちなみに、自分にとってイメージがワースト1のところ。 御朱印書き損じたあげく、上からページをはみ出すような 半紙を貼り付けて(それも下手糞な文字)、しかしなにも謝らずに 語らずに知らんぷりで返しやがった最低のところ。 受け取ってから、境内の売店前で見たら泣きたくなりました 。 すぐに半紙を剥がして、売店で糊とハサミを借りて、 改めて貼りなおしました。そんな苦い思い出があるところ。 できればもう二度と行きたくないところの一つである。 そのときの御朱印は添付の通り。
まあ、今回は写真の撮りなおしと御朱印のリベンジ? 同じことされたら御朱印帳ぶん投げてやるつもりだったが、 とりあえずは大丈夫でした。 まあ、印刷した社名に社印でしたが。
いづれにしても極力行きたくない神社の 一つであることは間違いありません。
[2017.3.10追記] ネットを見ていると「御朱印は『一期一会』。間違っていても下手でも文句は言わない」というのを よく見かける。その意識は感心させられるが、大事なことが抜けているような気がしてならない。
『一期一会』は、受動的なものではなく能動的なものであるということ。 つまり、拝受する側が、一方的に受け入れることではない、 主(神社)と客(参拝者)との両者の能動的な応対によって成り立つものである。 間違ったのなら正直に伝え、それを受け入れるような対応がなくてはならない。
そして『独座観念』を経てこそ、次の『一期一会』に繋げられるのであろう。 独座観念は、文字通りなら主側の話になるのだが、 客も同じように立ち返ってみることも必要だと思う。
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