- 日時: 2013/01/12 16:38:34
- 名前: 御津垣 ID: Gv.yPzTc
- 編集: 【回数】 5回
【名前】 御津垣 【最終日時】 2013/01/14 15:47:32
- ゆーきさん
こんにちは。旧社地ですか、懐かしいです。
■No.42に対しての引用返信です。 >連投すみません。 >前レスにも書きましたが、御朱印のついでに相模国圏の論社や旧社も巡ったのですが、もちろん小野神社の旧社地とされる南西200メートルもない地点の少し高い丘陵にある小祠にも行ってみました。 >詳細場所等は下記の過去スレッド参照 >http://www.kaguraden.net/patio/read.cgi?mode=&no=5&p=2 > >↑のスレッド(2010年2月)の画像では小祠の胴部分の木が剥き出しですが、現状白色の鉄板のようなもので覆われ補修されていました。 > >ただこの小祠には「秋葉神社」という社号標が見当たらず、また情報によっては旧社地の位置が「小野神社南西400メートル」など違うため、これが本当に旧社地或いは秋葉神社なのか不明です。
さて、小野神社の旧社地に関する一文がありますので紹介致します。
『相模の古社』P.144-145より抜粋 --------------------------------------------------- 小野神社の鎮座地は。むかしは今とちがっていた。 当社の背後の西南方約500メートル離れた小高い山の傾斜地が、 少し平らになったところにあった。この山は神の山といわれ、 いまは個人の所有地で、秋葉神社という小祠が立っている。 この旧社址の土地が狭く、かつ部落の中心からはずれているので、 後世になっていまの社地に移されたといわれる。 ---------------------------------------------------
旧社地については、現地で所有者に確認をとっており間違いはないはずです。 確かに距離については、違う数値が多々見受けられます。 自分も最初は、上記の数値を信じて探索致しました。 おかげて大変苦労したという思い出があります。 Yahoo地図で、本殿から秋葉神社までの距離を直線で測ったみましたが 約198mとありましたので、約200mで問題はないと思います。
ちなみに旧社地にある秋葉神社は、 小野神社と直接関係はないと考えております。 現在地に遷座したといわれる嘉永年間は、秋葉信仰が盛んな時期にもあたり 愛甲郡でも多くの秋葉講が組織され、秋葉参りも行われていたようです。 そのような時代背景、「神の山」と呼ばれる神聖な場所が空いたこともあり、 秋葉神社を祀った思われます。
ちなみに嘉永年間ではありませんが、浜松市の秋葉山本宮秋葉神社」の境内には、 『文化二乙丑歳 二月吉祥日 上依智邨』というの石碑があるようです。 西暦1805年に「神奈川県愛甲郡上依知村」(現 厚木市上依知)の 秋葉講が奉納したものではないかと推測されているようです。参考です。 http://yama-machi.beblog.jp/sakumab/2010/03/post-90e0.html
また、厚木市恩名にある『興福寺』という曹洞宗の寺院には、 嘉永年間に秋葉大権現を分霊した持社があるとのことです。
>小野神社の北西にある小町神社より、さらに北東方面に登って徒歩10分、そこの頂きには秋葉神社と呼ばれる小祠がありますが、これとは関係がないんでしょうか? >方角が全く違いますが、、一応疑問に思ったものでこちらに書かせて頂きました。 >小野神社の北西にある小町神社より、さらに北東方面に登って徒歩10分、 >そこの頂きには秋葉神社と呼ばれる小祠がありますが、これとは関係がないんで >しょうか? >方角が全く違いますが、、一応疑問に思ったものでこちらに書かせて頂きました。
方角的な話もありますが、 小野神社の由緒や御祭神を考えるとあまり山奥に祀っていたとは考えにくいと思います。 山奥の祭祀の場合は、水神・作神などが考えられます。
また、こちらの秋葉神社の創建は文政五年(1822)駿河の秋葉権現の分霊を祀ったことによります。 小野神社の現在地への遷座が、おおよそ嘉永年間(1848-1854)の初頭と考えられておりますので、 年代的にも旧社地候補としては不適当であると言わざるを得ません。 ※駿河から分霊とは興味深い。
そのようなことを踏まえて、こちらの秋葉神社は江戸中期からの秋葉信仰の隆盛 に合わせて創建された神社(?)のひとつであり、小野神社の由緒には関係がないのでは ないかと推測します。
素人の見解で申し訳ありませんが、参考になれば幸いです。
画像: 小野神社と古社地 秋葉神社(2009/08/09) 秋葉神社(2010/03/14)
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