- 日時: 2019/06/15 19:07:23
- 名前: 御津垣 ID: aXUsnc5w
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【名前】 御津垣 【最終日時】 2019/06/15 19:11:00
- スパムを消したことで更新していないのに
「Up」が表示されてしまったので 2017年に別所に書いていた中途半端な日記を載せておきます。
----------------- 優婆夷宝明神社に一緒に祀られている式内許志伎命神社。 もとは西山(八丈富士)の南麓甑山(こしきやま)に鎮座していたという。 江戸時代に近藤富蔵によって書かれた八丈実記にある地図には「コシキ山」との 表記を確認できる。
コシキ山の下部にある赤石はおそらく赤石山のことであり、 いまの南原スポーツ公園周辺となる。 ここには4mにおよぶ溶岩の層があり一回の噴火でできたものらしい。※1 そのような噴火があったこともあり鎮座地は溶岩層下に埋もれてしまい 正確な鎮座地はいまだに明確にになっていない。
しかしながら、赤石との位置関係、火山地質図による溶岩の流れからも 「甑山=甑峯(八丈ビューホテル付近)」ではなかろうかと推測している。※2 2017年11月当時八丈町立図書館で伺ったところ旧鎮座地の研究をされている方が いるとのことで、すでに研究結果について何らかの論文を出されているかもしれない。
ちなみに寺山はいまもグーグルマップでも確認が出来る。 ただ、その場所には山のような地形ではない。 寺山に縁がある宗福寺住職の話によると山とは林のことであるという。 しかし江戸の地図には山の形があることを考えるといまとは場所が違うのでと 考えしまう。 また、古地図にある甑山との位置関係が異なっているように見えてしまい 謎が残ってしまう。
※1 南海タイムス第3551号2013年1月25日
※2 地学雑誌『八丈島、西山火山南東麓における最近2,500年間の噴出物の層序と噴火年代』には「甑峯」と記載があり「八丈ビューホテル」付近であるという。
※3 気象庁「64.八丈島」火山地質図
写真:あとで調べて修正しておきます。 ・八丈実記記載地図
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