- 日時: 2009/07/09 11:23:16
- 名前: 神楽 ID: jGgi3kig
- 河匂氏は武蔵七党の猪俣党の流れを汲む豪族で、児玉郡の古郡と阿那志の間にある川輪に住んだことから河匂と名乗ったと云われています。
拠点と思われる河輪神社の古墳、恐らく小野氏の祖先を祀る古墳なのだと思われます。 一方、川和八幡は鶴見川の湾曲により地名が河匂(河輪)となり、河輪神社と呼ばれる由縁になります。
何の共通点も無いように思われましたが、いくつか面白い資料がありました。
鶴見川の源流にある横浜市青葉区鴨志田町529-8の墓地内に「鴨志田の板碑」に河匂三郎なる名前があります。 河匂三郎とは、始祖である政基の父猪俣野三郎忠兼とあるので「三郎」は襲名されていくことと思われます。 実際に、河匂三郎政成・河匂三郎実政・河匂七郎三郎といった名が残されることから、一族である可能性は高いと思われます。
吾妻鏡によれば、文治三年に神奈川県逗子市久木の岩殿寺で大姫公の願掛けに河匂七郎政頼が担当の奉行をしています。 小野家の流れを汲んでいるので、それなりに高い地位にあったことと、相模国との繋がりもあったとされます。 相模国といえば鎌倉幕府ですが、河匂氏の名前も出てくるので近くに収めている土地があった可能性があります。
小野神社が一之宮としてかつて勢力があったということは、小野家の末裔である河匂氏もそれなりに権力があった。 奥州合戦にて近隣に居住する理由があった。
それで、川和八幡神社と鴨志田の板碑、鶴見川源流近くにあります。 つまり私が推測するには、河匂氏の一族がこの地にいたということです。 発祥が埼玉県美里町ですので、氏神を遷した可能性が高いということ。
川和八幡神社の河輪は河匂氏なのではないかと考えます。 なので埼玉の河輪神社の方が有力ではないかと思いました。
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