- 日時: 2009/10/05 13:01:15
- 名前: 御津垣 ID: kcRcA.2o
- 編集: 【回数】 4回
【名前】 御津垣 【最終日時】 2010/11/30 09:46:52
- 奥州2日目。
ちょっと、というより結構頭痛い。 それでも、今日は午後から約束もあるので、ささと動かなくては。
ホテルの駐車場で、ナビに北上の和我叡登挙神社古社地の住所を入力。 あれ、予想と反して大分遠いぞ? これじゃ胆沢郡じゃないな〜。やっぱり後で北上市史第二巻をよく見てみるか。 そもそも胆沢郡に鎮座なのに頭に「和我」が付いているのは怪しいんだよな。 郡名も「和我」から「和賀」に変わっているし。
延喜の神明帳ができるまでには、胆沢郡にあったことになるので。 和賀からに遷座があったのか? 802年胆沢城 804年志波城(水害→政治機能の移動) 812年徳丹城(機能低下)。
808年 陸奥国鎮守府が国府多賀城から胆沢城に移り鎮守府胆沢城となる。 政治機能が、胆沢城まで南下したと想定して、その経緯で和賀から移ったとか? うーん。さっぱり分かりません。想像の範囲ですね。 そもそも郡名と同じかも不明ですし。でも、考えを巡らすのは楽しい。 知ってたら誰か教えてくだはいな。
さて、気を取り直して取り敢えずは向かいます。 目的地は、北上市飯豊町。ここにある飯豊森が古社地と言われている。 うーむ。たしかに神奈備と言えばそうだな〜。 森の入口に車を停めて、登り始めます。5分程度で頂上に到着。 今は観音堂と、石碑があるだけで当時を思い浮かべることもできません。 観音堂の写真をもっと撮りたかったが、蜂の巣が裏手にあると看板があるので 諦めて下山します。
まだ、9:00過ぎ。時間もあるんで、予定繰り上げて、 金ヶ崎駒ケ岳に登拝することにした。 途中のローソンで、遅い朝食と山で食べる昼食を購入。 朝食は、ちょっと(いやいや大分です)遅いけどカーボンローディングで スパゲティ。昼食はお握り3つ。
登拝祭以来の、金ヶ崎登山口に。場所はナビにでないので勘でセット。 意外と道を覚えているもので、問題なく到着。ナビには表示されないね、ここ。 すでに5台ほど駐車。 準備をして、10:20登山開始。もちろん登山届けは記入済み。 クマは怖いけど、大体にして活動時間は早朝と夕方。 完全ではないけど遭遇率は大分低いと思うんですけど。まあとりあえず行きます。 クマ鈴は当然つけます。 5名程途中で抜いてきて、1:20後、頂上に到着。お一人が先着しており のんびりされていた。 「おー、やっと念願の奥宮が撮れる」ということで、写真撮影開始。 祭りの風景もいいけど、現奥宮はデータとして残しておきたいので、 建造物のみで取りたかったのだ。来年にはもう見ることはできないのだから。
カメラは、一眼レフが不安(使えこなせてないだけ )なので、 コンパクトデジカメも持参。やはり空の色が満足に出せないが、 コンパクトカメラは問題なし。
写真撮影していると、夏油側から3名ほど登ってこられた。 奥宮の看板を見て、色々聞いてきたので説明をしておいたが、 もっと情報があればとの要望だったので、神社にもご連絡しておいた。 (「今、頂上です」と言ったら笑われてしまったが。)
ちなみに、夏油側の1名は、自分の出身中学の校長をやっていた奥さんらしい。 お住まいは、四街道らしいけど。なんで岩手の山頂で。。。世間は狭い。
今度登る予定の経塚山を望む。もう紅葉が始まっている。 あちらは頂上まで4時間かかる。
皆さんを残して一人でさっさと下山します。 約束もありますしね。 40分後、登山口に到着。まあまあのタイムかな。 着替えて、急いで止止井神社に行かなくては。 人がいないので、真っ裸になって普段着に換装します。
胆沢は、全国でも有数の扇状地なので車での下山は風景も楽しめてよい。 全開の窓から牧場地を渡る風を一身に受け、車を走らせる。 きっもちいい♪。(パチンコ CM風 )
つづく
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