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関東の神社めぐり プチ神楽殿掲示板
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信濃国国史現在社 名立神社 ( No.[40]60 )
日時: 2023/12/10 15:25:44
名前: 御津垣  ID: MqqKZtR.
編集: 【回数】 3回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2023/12/10 15:33:29

信濃国の国史現在社『名立神社』の論社は三社ある。
一つ目は「長野市松代町牧島字中組」の名立神社
二つ目は「飯山市照岡字大門495」の名立神社

それぞれ御祭神は
・健御名方命、五十猛命
・健御名方富命、木花開邪姫命、大山祇命
であるが、肝心なもう一社、名立神の最有力候補であったと言われていた
中野市穴田鎮座の名立神社が見つけられずにいた。

穴田には八幡神社があるのでこちらに合祀されたのではないか
という可能性も含めて確認していたが、
とくにそのような由緒は見つけることができなかった。

このような時(その場所にあるという情報はあるのに見つけることができない)に
確認しているのが「遺跡発掘の報告書」の類である。
遺跡の発掘において、祭祀的なものがあったのか否かは必ずと言っていいほど
触れられる内容であり、近隣の神社のとの考察などの記述もあり
有力な情報源となっている。

中野市穴田の遺跡発掘関係の資料は、
上信越自動車道建設に関わるものが多いように感じたが
その上信越自動車道埋蔵文化財発掘調査報告書「中野市内その3・豊田村内」に、
名立神社跡の写真と、
以下の文を見出すことができた。

<上信越自動車道埋蔵文化財発掘調査報告書14 -中野市内その3・豊田村内->
==============================================
〜第4節 名立神社跡等の確認調査〜
試掘B地点は栗岩英治が名立神社跡と推定した場所で、
通称「いわし山」と呼ばれている。
名立神社は『三代実録』貞観7年(865年)7月26日の条に記述があり、
神社の場所は確定されていない。
確認調査は十字にトレンチを入れた後、重機で平坦面の表土を争Jぎ、
さらに2m四方の試掘坑を設定して掘り下げたが、
かんざし、陶器片が出土したのみで、平安時代にさかのぼる遺物や
神社信仰にかかわる遺物は出土せず、遺構も検出されなかった。
栗岩氏の考定は証明されなかったが、
今回の調査結果のみでこの地が名立神社であったことを
完全に否定したともいえないだろう。
また、史料内容からすれば、この地への比定は、
それほど根拠のあったこととは思われない。
しかし、古東山道支道や同時期の集落に関して、
周辺では考古学的情報がほとんど蓄積されておらず、
この問題に関しては後考に待つほかはない。
このことは周辺で出土している平安時代遺物をどのように
意味付けるかという点にかかわろう。
==============================================

また遺跡分布図や大谷地遺跡・八号提遺跡調査範囲図から
おおよその「いわし山」の位置も掴めることができた。


なお、栗岩英治氏の論文は以下に見ることができる
<史蹟名勝天然記念物調査報告 第23輯『六國史所載、名立神址』>

これには
・穴田鎮座とした理由や、
・名立の謂われなどの考察
 ⇒アイヌ語の幣「いなを」の略したもの、「いな」を立てる所
穴田鎮座については更に
@名立の謂われと地名との関連から
 稲尾澤の頂上付近「「いはし山(原文ママ)」を鎮座地としたこと
Aいはし山は、すなわち岩清水山、岩清水八幡社(原文ママ)の鎮座地であり
 穴田村の伝承から現在の『八幡神社』の旧鎮座地
を見ることができる。

以上の考察の結果
名立神はこの八幡社であると推定、「岩清水山=いはし山=いわし山」こそ
名立神社址に外ならないと結んでいる。

そうなると
この石祠は麓にある八幡神社の元宮でもあるのであろう。
また、栗岩氏の推測をもとにするのであれば
八幡神社は名立神社の後継社ということにもなるのかもしれない。
このあたりは別の機会に八幡神社の関係者に伺ってみようと思っている。

さて、以上の情報をもとに現地の調査に赴くわけである。
結論からいうと推測地こそが正解であったのであるが、
初回の調査では石祠を見つけることができなかった。
これは草に覆われていたこともあるが、
調査位置を集落に近い谷側にフォーカスしてしまったからである。
(実際には山側 上信越自動車道に面した いわし山の端にあった)

近隣で聞き込みを行うも『名立神』についてご存知な方は皆無だったが、
いわし山の石祠の写真で「定期的に集まって刈払いしている場所である」という
情報を入手できた。
ただ、地図上でご教授頂いたポイントと実際のポイントがずれていたため
数日別の山林をさまようこととなった。
最後にお会いした方から「いわし山」の正確な位置と、
石祠の立地をお聞きしてようやくたどり着くことができたわけである。

なお、グーグルのストリートビューでは
上信越自動車道から石祠を確認することもできる。

写真
1枚目:上信越自動車道埋蔵文化財発掘調査報告書14 -中野市内その3・豊田村内-掲載写真

2枚目:2021年11月ころの石祠
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