- 日時: 2012/01/14 16:31:29
- 名前: okasurfer ID: LhGS19VY
- 参照: http://ameblo.jp/okasurfer-bmw/
- 諏訪神社 (山梨県北杜市須玉町若神子3282)
延喜式内社(甲斐國巨麻郡 笠屋神社論社)
旧郷社
本務社 三輪神社(北杜市須玉町若神子820)
駐車場は境内入口3〜4台
御朱印は宮司宅にて授与(要事前連絡)
社記に延喜式所載の笠屋神社なり。笠屋と称するは往古笠宿りの神事ありしに因り起る。又一説に此れより南穴山村に穂見神社あり之を中の社と称し、尚南駒井村に当麻戸神社(尾比礼社と伝う)あり、之を下の社と称す。 而して当社号笠屋の笠は借字にて、方言に上を加佐と云えば即ち上の社として笠屋と称え来れりと記し、甲斐国志には若神子村諏訪明神は御朱印社領三石四斗、社地七千八百坪、新羅三郎祈願所の由、社中に其の霊を祀り、義光明神と伝う、祠後大岩の上に圭角の巨石あり、之に因つて大石神社とも伝う、義光奉納の馬具とて轡一口を伝えて神宝とすと載せてある。 此れの社の南の山の中腹に新羅窪と云う所あり、是れ義光明神の旧社地なりとぞ。武田家の将黒源太清光の祈願所とも伝う。創立年代は往古村大火に類焼確たる記録なきも所蔵の棟札に次の如くあり。 棟札 諏訪大明神御神殿御建立 貞享五年辰年九月二十八日 神主中田右近正三射出雲守行之 当社東南の山上に若神子城墟あり、東より北は七里岩の上の片山、八ヶ岳 の麓の崗岩を擁し、地堅固にて又四方に達する便よき地なり。 此の地は往古日本武尊の御子等の封を給 わりし所ならんか。相伝えて云う新羅三郎義光此の城を築きたりと甲斐叢記等に見えている。 明治六年郷社に列し、同四十年御崎神社を合祀した。 「峡北神社誌」より
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