- 日時: 2009/10/21 00:29:09
- 名前: 御津垣 ID: x31Ww/eU
- 編集: 【回数】 1回
【名前】 御津垣 【最終日時】 2009/10/21 00:30:10
- eraさん、本記事が座間の件です。
皆さん、回答お持ちであれば、お教え願います。
「有鹿神と鈴鹿明神」の伝説にででてくる「諏訪明神」についてのお話です。
自分は、この諏訪明神は、式内石楯尾神社の論社でもある「入谷諏訪明神」と 認識しておりました。 特に詳しく調べた訳ではないのですが、「梨の木坂」とかのキーワード的にも 合っていたので、そう思った次第。
しかし、先日 鈴鹿明神社で、若いご神職に伺ってみたところ 「そこではなく『新田宿諏訪明神』である」との回答。 ※正確には、鈴鹿明神社の前の道を右に進んで踏切を越え、 しばらくすると西中が見えるので、その先の神社がそうであるとの回答 ちなみに、「弁財天」は現在はそれに該当するものがないとのことでしたが、 近くの「龍源院」は相模七福神の弁財天ですね。 古説同様に蛇がらみの話があるようで、なんとも意味深。
では、新田宿諏訪明神の由緒はどうかというと、 現在手元にある資料では、ご神職が言うようなお話は見ることができない。 神奈川県神社庁の記事を参考にすると。 「神官、新田氏の祖先が、信州(現在の長野県)よりこの地に移り住んだとき、 故郷の諏訪大社の御霊を分けて祭ったのが当社の起こりと言われています。」 創建も1604年と年代も合わない。
本当に、新田宿なのか? 入谷の方じゃないの?
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