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関東の神社めぐり プチ神楽殿掲示板
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膽澤川神社 旧跡を探る1 ( No.[9]61 )
日時: 2009/12/12 13:55:36
名前: 御津垣  ID: DPa.wFrs
編集: 【回数】 12回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/12/20 15:09:40

膽澤川神社の石碑

若柳元山田 茂井羅堰の分流付近にある。※地図を参照
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 延喜式神名帳陸奥百座内
 膽澤川神社 
 別当
 横枕屋舗孫左右衛門
 奉寄進之
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この石碑は、1947年に明神川原で発見され、
現在の地に移し建てられたものである。


膽澤川神社は、大同2年(807)坂上田村麻呂の勧請と伝えられる。
主祭神は、「沢女命と水速女命」の2柱である。
『胆沢風土聞誌』(1773)によると「膽澤川神社は祭神水速女命」。
『胆沢郡誌』(1974)では、「祭神沢女神と水速女神」とある。


もとは、胆沢川上流にあったが、社地が欠け崩れ落ちて
「字横枕に遷座」されたという。

『風土記御用書出』(1777)には「横枕明神社跡」と記され、
社屋は洪水によって流失し大祭のみが執行されていたらしい。
この時点で石碑が埋もれてしまっていたかは不明であるが、
横枕に膽澤川神社に疑定されるものが
存在していたことは確かなようである。


明治初年代に、土橋に於呂閇志神社遥拝所が建てられると、その隣に社屋を再建。
明治40年に合祀されて於呂閇志膽澤川神社として現在に至っている。


※横枕屋敷は、現在の「字上田中」にあたる。
 寛永(1624〜1645)以来の家系の集落である。


参考「旧跡をたどる胆沢の歴史散歩」
   「胆沢町史」
   「『安永風土記』記載百姓屋敷調べ : 220年前の散居の復元」
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