- 日時: 2009/12/29 16:04:26
- 名前: 御津垣 ID: 1aW0/1QI
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【名前】 御津垣 【最終日時】 2011/12/23 15:00:22
- 『胆沢郡誌』(1974)によれば膽澤川神社の本社は、
胆沢川水源地 小字体丸 焼石沼付近であるという。
膽澤川神社縁起の坂上田村麻呂勧請の項は、 胆沢城の田村麻呂が、出羽の雄勝城の支援の為、 胆沢川の上流を通ったという伝承からきている。
坂上田村麻呂が整備・使用したこの道は、仙北街道という。 岩手県奥州市水沢を起点に、秋田に至る街道である。 ただ、今日では車道の発達により下嵐江(奥州市胆沢区)から 手倉(秋田県東成瀬村)までを特に指しているようである。 もともとは軍道の性格が強かったが、出羽・陸奥地方の平定後は、 経済・文化・産業の道として賑わって行く。
しかし、この街道から焼石沼付近に行くためには胆沢川の渓谷を越えるか、 十里峠から大森山に稜線沿いに行くしかないであろう。 人里からも離れており、祭祀を行うに相当な労力であろう。 そう考えると、本当にもともとそこに鎮座していたのかが疑わしくなる。 胆沢川自体が信仰の対象なので、源流地点を本社にあてるのは問題はないが、 それは後年のことではないであろうか?
源流地域 三界山南麓には「膽澤川神社、昭和五年、高橋重右エ門」 という石碑があるという。 鎮座疑定地の様子と合わせて確認の為、焼石岳登拝することになった。
しかしながら、石碑の詳細な位置が不明であった為、 胆沢区「胆沢総合支所商工観光課」に問い合わせた。 上記の石碑については分からなかったが、9合目の焼石神社に 目的のものとは別の「膽澤川神社」の石碑があるとの回答を得た。
実際に焼石岳に訪れたのは、9月末の休日である。 目的地が、東成瀬コース沿いにある為、秋田側からのアプローチとなる。 濃霧の平泉・前沢ICを降りて、国道397号 通称「焼石連峰ビーチライン」を 秋田に向けて走る。濃霧の為、左側にある胆沢川の谷が非常に怖い。 やがて霧は徐々に晴れていくが、小雨がぱらつく状態となる。
東成瀬3合目の登山口には、7時前に到着。駐車場には誰もいない。 雲の流れが速い。天候の回復を車内で待つことにした。 9時過ぎ。これ以上の時間は待てない。天候は若干日差しが差す程度。 小雨は雨具がなくとも問題ない程度である。
頂上までの所要時間は約3時間。 目的の焼石沼まで2時間。焼石神社までは2.5時間であろう。
途中いろいろ見所もあるが、花を目当てであれば時期的に遅い。 天候もあまりよくないので、先を急ぐ。 途中6合目手前では、胆沢川を3回ほど沢越えしなくてはならない。 雨で増水している状態で大変であった。本降りなら沢登り程度の準備が必要であろう。
8合目手前 左には三界山が近くに見える。 三界山南麓といっても今いるコースも南麓にある。 途中脇道や石碑がないか注意しながら進む。 やがて長命水に着く。この情報があったので水は最低限しか持参していない。 水を補給し、焼石沼に向かう。
このあたりは放牧地跡でもある。 なるほど、ここが山奥であることが信じられない風景である。 焼石沼を含め、多数の池塘が存在し、季節には花畑の様相となる。 それが、焼石岳・モッコ岳・三界山と青空がよい景色をつくることであろう。 (幸いこのあたりでは、青空と日差しを得ることができた。)
焼石沼付近を簡単に探索してみるが、石碑らしいものは見当たらない。 長命水の上流部分や、モッコ岳の上部が気になるが藪漕ぎの準備は してきていない。単独行でもあるので冒険は避けるべきであろう。 特にモッコ岳には、右側から上部に巻き道があるように見えた。 あの上部にはなにかあるのではないかと思えてしまう。 位置関係から言って、モッコ岳は鎮座地として最適のように思える。 いつかあの場所を調べてみよう。
ここからは急登となるので焼石沼脇で大休憩をとる。 実はブランクがあり、少々ムリをした感もあったのだ。 休憩も終わり、焼石神社に向けて急登を進む。 ふくらはぎに若干の違和感がある。 とは言え、また天候が悪化するように秋田側から風が入ってくる。 すでに、日差しはない。少々ムリをしても進まなくてはならない。 (結論を先に言ってしまえば、9月以降は日本海からの空気が入りやすく 秋田側は曇りやすく思える。このルートは焼石沼の花畑がよいのだが、 開山〜8月までにしたほうがいい。)
11:30焼石神社着。日差しはなく小雨状態である。 風が冷たく、急ぎ雨具で体温の低下を防ぐ。 『膽澤川神社』の石碑が分かりやすく立っていた。 この石碑は、昭和13年に奉納されたもののようである。 先に調べた石碑からは8年後のものである。 近くには真新しい豊水祈願の碑もあり、 この焼石岳・胆沢川が、胆沢平野にどれだけ重要かが垣間見ることができる。
しかし、焼石神社=膽澤川神社なのだろうか? そのあたりは、後日 宮司さんに確認しよう。 焼石神社からは、先ほどの焼石沼やモッコ岳が望める。 岩陰の祭祀形態や、この風景からここに鎮座しているのであろう。
さて、これから上部は、岩場を越え低木(?)の中を歩くことになる。 雨風を遮るものは存在しない。 岩場には矢印がありルートを間違うことはないが、その先が問題である。 焼石神社までの状態と異なり、ここが同じ登山ルート?と疑わしいくらいの 状態である。 ところどころにビニール紐はあるが分かり辛い。 藪払いをしていないのではと思ってしまう。 岩手側と比べて登山者が少ないのか?
いづれにしても、頼りのビニール紐が見当たらない。 そうこうしているうちに、無理を強いてきた足がつりはじめる。 頂上に行っても強風で寒そうだし、天気も足もこんな具合なので ここで諦めることにした。9.5合。あとちょっとなんだけど。
下山は、無理せずにゆっくりと。 6合目を過ぎたあたりから、右膝の外側筋が痛み始める。 昨年に鳥海山でやった左膝と同じ状態である。 全治2ヶ月くらいかな〜と思いつつも、歩かないと降りられない。
このころには改善した天候の下、 「運動の汗」と「冷や汗」と「ベソ」をかきながら無事に下山を果たす。
登山口。登った道を見返す。 そして、いつかリベンジしてやると心に誓う(その日は意外とすぐ来た)。
※仙北街道は「東成瀬 まるごと自然館」を参照されるとよいです。 http://marugoto.higashinaruse.com/04_senboku/map.html
※『続日本後紀』承和8年(841)に記述の 江刺郡擬大領上毛野胆沢公毛人が祀ったという説もあるようであるが、 詳細は不明。
参考「胆沢町史」 「古のブナ道 仙北街道」
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