- 日時: 2009/12/08 00:00:18
- 名前: 御津垣 ID: qa/kzJVI
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【名前】 御津垣 【最終日時】 2009/12/12 20:29:23
- 「宝当神社(ほうとうじんじゃ)」
−御祭神− 野崎隠岐守綱吉命
−御由緒(参拝の栞より)− 天文二十三年(1554) 信州諏訪の国に生誕。 生まれつき才能があり、哀れみの心も厚く、道義もわきまえ、 礼儀正しく勇気と力を持ち、当時の人は偉丈夫であると称していた。
豊後の大友義鎮(おおとものよししげ)公につかえ、数度の軍功著しく、 恩賞を戴く。 ◎義鎮公は後に大友 宗麟(おおともそうりん)を名乗る。 大友義鎮公は、肥前国草の城主として草野鎮永(くさのしげなが)に 迎えられる。
元亀四年(1574)三月二日 草野城は、龍造寺隆信率いる5400騎に取り囲まれる。 野崎隠岐守綱吉と原瀬久太郎久国(はらせきゅうたろうひさくに)は、 やおもてに立ち奮戦する。これにより、龍造寺は勢力を失い敗走した。 草野城はこれで安堵をしたが、草野家の老臣は綱吉の勇力を恐れ、ねたみ、 主家に綱吉の居場所が無いよう仕向ける。
九月二十一日 綱吉は、やむを得ず三人を引き連れ、夜陰に紛れ小舟を操りここ高島に たどり着く。
十月二十九日 龍造寺は、再度草野城に至り連戦の末、草野城を陥城した。(平原の合戦) 綱吉は高島に移り住みし頃である。 当時世の人は、筑前国吉井の海賊、火山神九朗(かざんじんくろう)の 猛悪異名に恐れおののいていた。ある日の事、吉井荊娯(よしいけいご)が 神九朗の手下三十余人を率いて、高島の人家を襲った。 穀物や金銭を強奪し、船に積み込み、とも綱を解き、浜辺を去ろうとして いた。これを聞きつけた綱吉は、浜辺に走り出て飛鳥の如く賊船に飛び乗り、 帆柱を引き抜き横一文字に振りまいた。賊徒は、その場になぎ倒され、 各自物を取って綱吉たちに向かってきた。綱吉は車輪の如く早業で投げ 飛ばし、骨折、転倒、流血負傷を負いながらも、賊徒を倒した。 生き残った者はわずか五人であった。五人は、強奪した物を前にして 命乞いをし、綱吉は、それをねんごろに諭し許した。 その後遠近の賊船は、綱吉の勇力を聞き二度と高島を襲うことは無かった。
天正十二年(1585) 綱吉の嫡男、吉道(幼名 馬之助)高島において生誕。
天正十三年(1586)八月二十三日 綱吉は、にわかに病に冒され再起することが出来ず、高島において逝去。 (享年三十二歳) 島民は、綱吉の弔いを厚くし祠を建立し島の大権現をして祀る。
昭和三十四年(1901) 島の産業である製塩業が盛んになり島が潤い利益をあげた時、お礼として 綱吉を祀った当神社を当島の宝と称え『寶当神社』と記した石造りの鳥居を 奉納した。この頃より宝当神社(ほうとうじんじゃ)と呼ばれ親しまれて きました。 その後、平成に入って当神社の縁起がよい『寶当(ほうとう)』の文字に あやかって参拝される方が増え、お参りをされた方の中から宝くじの 高額当選者が多数出て、テレビや雑誌などに紹介され、宝くじが当たる 神社として一躍有名になりました。現在では全国から年間二十万人もの 参拝者をお迎えしています。
由緒書というより、経歴書ですね。 コメントしづらい。。。
2日目の朝。ホテルの部屋から外を覗く。空は雲に覆われている。 昨夜は、目当てのイカも食べられなかったし 。ちょっとブルー。
とはいえ、今日は年末ジャンボに備えての「宝当神社」参拝である。 もともと、こちらに参拝するつもりはなかったのだが、 同僚達と話しているうちに、「じゃあ、俺が先に行ってみる。」 ってな感じで今回の行程に入れることになったのである。 まあ、お祭りです。勢いです。
しかし。。。 金華山黄金山神社、大宝八幡宮、そして宝当神社。 金の亡者だな〜。
ともかく、唐津始発(7:50)の連絡船に乗りたいので、 さっさと準備をするつもりでいたが、ホテルから船のでる桟橋までは5分程度。 駐車場を探すリスクを考えても7:30にでれば問題ない。 というわけで、朝食をてんこ盛りで食べることにする。 昼は、いつになるか分からないし。。。
さて、朝食後は特にすることないので、ちょっと早いが出発することにした。 桟橋には7:20くらいに到着。が、案の定駐車場が見当たらない。 案内板を確認すると、近くでは対岸の唐津城前にしか駐車場がないようだ。 唐津城側にまわり有料駐車場に停め、改めて桟橋側に渡ってくる。 でもまだ20分は待つのね。
さて、やっと時間になり200円払って船に乗り込む。 定刻通りに出港。船内からはあまり眺めはよくない。船外は?という質問には 寒くて出たくなかったので分かりませんとお答えしておきます。m(_ _)m
約10分で高島に到着。港の案内板に沿って宝当神社を目指す。 が、もともと適当な人間。当然迷う。ふっ、迷ってから地図を見るのが 自分の流儀なのさ。 神社の裏手まで来てしまったようだ。墓地を突っ切って神社前の道に合流。 あとは、真っ直ぐいけば神社。そしてようやく到着。
早速参拝。こちらの神社は誰でも昇殿して参拝してもいいようだ。 拝殿には色々と宝くじ当選の記事や、お礼が掲げられている。 自分も懇ろにお祈りしてと。 「どうぞBIG6億円と、年末ジャンボ3億円が当たりますように」 (どこまで欲深いのじゃ、おまえは。) あー、具体的には違うのだが、まあまあ。
その後、社務所にて御朱印をお願いする。 が、今日に限って(とのお話)宮司様は不在とのこと。 なんですかそのねらった感じ。 ともかく書置きの御朱印を分けて頂きます。 う〜ん。日付部分だけがあんまり。。。
参拝・写真撮影が終わり港に戻ります。 8時の到着であったが、9時には出港と決めていた。 なぜなら、その後は10:45まで船はないからだ。時間がもったいないし。 しかし、港への帰り道に、なにやら怪しい店が。。。 猫が一杯いる。なに!ご利益がある猫がいるって? それは寄っていかなくてはならない。 そして、お約束の物品を購入しまた神社に戻る。 これで、当選は約束されたも当然。わっはっはっは。 (どこかで見た文章です。。。ごめんなさい )
さて、あちらの世界から無事生還した自分は、 港に戻り購入品のおまけでついてきた当選(するであろう)宝くじを 胸に抱きしめ帰路についたのである。
次は、呼子の田島神社である。
つづ
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