- 日時: 2009/10/05 13:17:18
- 名前: 御津垣 ID: HINu/ghU
- 編集: 【回数】 4回
【名前】 神楽 【最終日時】 2016/06/10 22:52:03
- 於呂閉志胆沢川神社
胆沢郡の式内社2社「於呂閉志神社」「胆沢川神社」の合祀社である。
この神社には、奥宮が存在する。 奥宮は、「式内於呂閉志神社」そのものである。 (ちなみに「胆沢川神社」自体も古社地があるようで要調査です)
しかし、この奥宮に一般人が辿り着くことはほとんどできない。 少なくとも、あと2年(?)ぐらいは。 「岩手・宮城内陸地震」。深い爪あとを残したこの地震は、猿岩近辺にも 大きな損害を及ぼした。結果、復旧工事と安全確保の為、自由に参拝することが できなくなってしまったのだ。
以下は、於呂閉志胆沢川神社の宮司様より伺った内容である。
現在の位置に鎮座するまでに、2回の遷座があった。 当初は、猿岩の頂上付近にあり、その後 少し下がったとこに遷座。 そして、現在地という具合である。 ちなみに、旧社地には特に祠や碑はなく平地となっているだけとのこと。 追記:どうやら石祠はあるようだ。 ちなみに胆沢川神社だという説もあり。
於呂閉志神社の最盛期の頃には、冬季に神職が山里に下りるときには、 お賽銭を降ろすのに馬三頭が必要であったとの話がある。 それだけの参拝者があったということだろう。それは秋田、宮城と広範囲だった。 ちなみに古い神札の残っている地域を学芸員が調査したことがあったようだ。 地域としては秋田・宮城までの広範囲に及んでいたという。 この結果より崇敬者の分布が推測できるようだ。 ちなみに、面白いことに近くの北上側では発見されていないとのこと。 ※これは、伊達と南部の藩境がこの地域に あった為であろう。
今後の奥宮についてであるが、 胆沢ダム完成後は、猿岩隧道の上部分まで、水位が上昇するとのこと。 現在 お祭りに使う椿は、このあたりではなかったか?心配だ。 猿岩への道は、ダムの対岸から新しい橋が猿岩にかかるように 作られ猿岩側に駐車場ができることになっている。 簡単に伺えるようになるのはいいが、ごみが心配だ。
ところで、昨夜の飲み会の話でしたが、 なんかその後連絡がなかったので、行かなかっただけとのこと。 白山の宮司様からの電話を待っていたらしい。 うーん。あの時の様子だと忘れたな〜
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