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関東の神社めぐり プチ神楽殿掲示板
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温海熊野神社その2 ( No.[9]89 )
日時: 2011/07/04 18:08:20
名前: 御津垣  ID: 4oIP4DNc
編集: 【回数】 5回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/07/05 13:02:23

5/15本日は、『温海嶽開山祭・ブナの森登山会』である。
天気もまあまあといったところだ。雨男など言わせないぞ

今回の参加目的は、山頂の熊野神社本殿への登拝。
温海嶽については、あまり情報がなく一人で登ることに気後れしていた。
そんな時に、このようなイベントを知りいそいそと申し込みをした次第。


前回あれほど見事だった桜はすでに葉桜、
若い緑が川沿いの風になびいていた。
ああ、カメラを忘れたことが大変悔やまれる



集合は7:30熊野神社拝殿前。
登山の集合時間としては遅いくらいだが、標高からいってこのくらいなのだろう。
若干早く到着したが、受付はできるようであったのでさっさと済ませる。

受付では、下山後のお風呂をどこにするか、くじ引きで決めていた。
まあ、関東でも知られる萬國屋とかは入浴料も高いし、
これはこれで公平なのでしょう。
自分はといえば。。。まあまあ^_^;。ご想像にお任せします。

登山ルートについての説明。
今回は、残念ながら保険の関係でピストン行程。拝殿跡には行かない。
まあ、仕方がない。楽しみは次回に残しておこう。

え〜、一番遠いということで、玉串奉奠よろしくとのこと
数年前の自分なら「えっ?」という感じでしょうが、さすがに今は余裕もある。
(伊勢原の高森神社ではテンパってたけど)


やがて、宮司様がおいでになり、いそいそと開山祭祭典の準備を開始する。
話しかけるにもお邪魔かなと思い、ひと段落するまで、境内で写真を撮影。
朝方は逆光になるようだ。

写真撮影もほどなく完了。
宮司様の様子を伺って、由緒について確認してみる。
神社誌を見て参加という理由に大変驚かれていた。
由緒等重要な資料は、大方 昭和初期に焼失してしまったらしい。
現存するものを下山後に分けてもらうことになった。
御朱印も分けて頂けることになり、朱印帳を預けておくことにした。

「開山祭・安全祈願祭」。厳かに式典はすすむ。
自分は玉串奉奠の関係で前方に参列。
当然 式典の写真はない。※
 ※式典の写真を参照されたい方は、
 「温海温泉 旅館かしわや」ブログをご覧ください


登山は、拝殿左側の登山口より開始。
参加は60人ほどになる。ちょっと多いけど大丈夫か?
アスファルトの道の後、沢沿いを進む。
滝なども多く、景観に富む。マイナスイオンが一杯。なんか癒される
やがて沢沿いの道から未舗装の林道にでる。

その後は、『ブナの森遊歩道』である。
この遊歩道は、「温海嶽を愛する会」の方々が、
切り開いたものとのこと。温海嶽に対する愛情がうかがえる
そうそう「山と渓谷4月号」にも掲載されたようだ。

ただ、この道、沢を回りこむ細い道もあり、結構スリリング。
自然に視線は下に、慎重に歩を進めることになる。

突然、前方から悲鳴。
「なんだ!」顔を上げる。
自分の直前を歩いていたパン屋の女将さんが、
遊歩道にせり出した立木にぶつかっていた。
そのまま後ろにのけぞり、沢に落ちてゆくではないか!
それはまるでスローモーションのようであった。

この沢には名も無かったが、これ以降「パン屋沢」と
名が付けられるだろう。。。

などと冗談を言っている場合ではない

幸い、沢は浅く、受身も取れていたので、怪我はないようだ。
沢を登り、遊歩道に復帰。しかし、ズボンはびしょ濡れ状態。
話を聞くと、やはり下向きに歩いた為、立木に気がつかなかったらしい。
立派な木であるが、この場で切り倒すことに決まった(?)

頂上への所要は、約2.5時間。
参加者全員に配慮した為、標準と比べて大分遅い感じだ。

自分は、念願の熊野神社本殿に参拝。
参加者に御神酒が振舞われる。
車で先回りされたのか、宮司様は正装でいらっしゃった。

宮司様を中心に全員で記念撮影。
その後、昼食となった。温海嶽山頂部は平地が多く見晴らしもよい。
登山の道程で、採取してきた山菜等含め沢山ご馳走になってしまった。
あれ?お昼買ってこなくてよかった感じだぞ。

昼食中、山頂から見える山々について説明して頂いた。
月山、朝日、飯豊、鳥海など。摩耶山と日本国がまたいいらしい。
海側では、鼠ヶ関の向こうに粟島がみえる。
残念ならが、佐渡ヶ島までは見ることはできなかった。



楽しい昼食の後下山。
他ルート(旧拝殿地)には未練があるが、
今回は団体行動。諦めましょう。。。

沢沿いの道の、下山は慎重に。
みんな無事に熊野神社里宮に到着です。


直会殿では、孟宗汁のふるまい。
なぜか?自分が参加した感想を述べることになった。。。
テンパって何言っているかよく分かりません
そういうことは、事前に言っておいてくださ〜い。

そんな余談はともかく。
登拝前にお話しておいた資料と御朱印を宮司様より頂く。
資料の内容は、下記の通り(宮司様より掲載許可済み)。

正直なところ、式内社としての根拠資料としては弱い感じである。
資料が焼失、存在しないことが惜しい。
(縣社には昇格している)

ただ、現状 否定する資料もないので、
式内由豆佐賣神社は論社2社として掲載してゆくつもりだ。
そして今後も引続き調べていこうと考えている。
(でも最優先は、胆沢川神社だけど。。。焼石登らんと)

いずれにしても、温海が、
 お湯よし
 人よし
 自然よし
と、三拍子揃った場所であることは間違いないであろう。
高速のICもできることで、今後の益々の発展を期待したい。


また、秋の閉山祭登山にも参加したいと思う。
きのこ汁じゃ〜


熊野神社縣社昇格考證課通過論文
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本社を以て延喜式内社由豆佐賣神社に充つるに就ては古来他に論社の存在あるを以て、
今遽かにそれと決定するを得ず然れども地方の古社にして蓋し武藤氏の頃より
領主の崇敬を受け祈祷を命ぜられたる際には本社より守札を献ずるを例とせるが如し、
江戸時代に入りて元和年間酒井氏藩主として入部するや爾後同氏累代の崇信を
受く、今其の主たる事項を挙げれば社地平清水より蝋漆役を免除したる事、
社殿の榮造の時に大壇那となりたる外城下及群中へ勧化を許し又木材を給したる事
藩主巡國又は入湯の際には代参を派し祈祷を命じ初穂を献ずるを例としたる事等にして
就中宝永六年長床を建立翌七年引続き社堂造立の時には大壇那と為りて
之が工を起したるは見るべき事實とす其他獅子頭の廻村を許し
天明二年忠徳の代棟札論争の時之が和解に努めたる等藩主との交渉頻りにして
その事歴見るべきものあり
 思うに本社は古くより巨多の山地を有し多数の社坊を擁し社運甚だ有勢なるに
加之此の地温泉湧出せるを以て自然藩主との関係を密接ならしむるに至りしもの
なるべし、上述の如く本社は地方の古社にして領主、藩主の崇敬見るべきものあるを
以て由緒上縣社に昇格せられ支障なしと認む

 昭和十一年十二月二十六日
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写真
 ・里宮拝殿
 ・温海嶽本殿覆屋
 ・熊野神社本殿
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