- 日時: 2012/12/18 18:32:29
- 名前: 御津垣 ID: vJ9HpT5U
- 編集: 【回数】 1回
【名前】 御津垣 【最終日時】 2012/12/19 17:06:32
- ■No.98に対しての引用返信です。
>えっと国史所載というのは明治前にあって、他は明治後ということでしょうか。
言葉というのは難しい。。。 赤城おろしさんとの話題の解としては、(1)で十分だったのに、 (2)を紹介したことによって自分も混乱してきました。。。
論者が言いたいのは、 (1)という従来からの説に対して、実は(2)という実績があったのだよ〜的な感じでしょう。
自分としては「国史所載」という『言葉』ではなく、そのような『意識』はすでに存在していたと まとめたかった訳です。
いずれにしても、これ以上は論者に失礼なので、 結論部分の一節を以下に記載致しますね。
同研究報告 P.528より ---------------------------------------------------------------------- このように、明治時代以前は、国史見在社のことを、式外旧社・式外神名・国史神名・ 国社・式外・式外社・式外諸神などと呼んでいたのである。ところが、明治時代になると、 国史見在社ノ諸社・国史現在ノ神社・六国史所載ノ神社という語が用いられ、 それらが整理されて、現在、一般的にいう国史見在社・国史現在社・国史所載社などという語に 定着したのである。そのような過程のなかで、はやく江戸時代初期において国史記載社という語が 用いられていたことに留意しておきたいのである。なお、今後とも名称の変遷に関する詳しい 調査研究が俟たれるのである。
----------------------------------------------------------------------
>私が気になるのは上野國神名帳記載神社が式外になるのかどうかってことなのですが、延喜年間より後っぽいんですよねぇ。
うーん。こちらも難しいですよね。でも神楽さんの専門分野ですし、 大体は「こうではないか」というお考えはお持ちなんですよね?
で、自分の考えでは、記載社全部が式外ではないのではないか〜と思ってます。 特に根拠があっての話ではありませんが、現存する神名帳が編纂当初のものから 修正等がなれていないであろうか?と考えているからです。 それに恣意的な修正がなされているからこそ、上野國神名帳は3種類の異本が 存在するとも考えることもできるのではないでしょうか。
|