朝房山と蛇 ( No.70 ) | 
- 日時: 2009/10/29 23:14:29
- 名前: 御津垣  ID: MyWWCOEc
- 編集: 【回数】 1回
  【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/10/29 23:42:02
  
   - こんばんは。
 くれふし山の蛇の社の件ですが、以外なところに記載がありましたので お知らせ致します。
  該当の記載があったのは、以前 書籍情報スレに書いた『笠間の民話』です。 記事名は、上巻の『朝房山と蛇』です。 ちょっと、諦めるのが早すぎた感じですね。
  ttp://ed.city.kasama.ibaraki.jp/~kasamaj/minwa/ue/minwa10.htm
 
  今度、頂上含めて伺ってみようと思います。  
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  くれふし山の蛇の社 ( No.69 ) | 
- 日時: 2009/10/28 16:55:54
- 名前: 神楽  ID: W5Jq4tdA
  
  - 北海道・東北スレで御津垣さんが話していた、「くれふし山の蛇の社」は私も興味があります。
  昔は「ほじふし」と呼ばれていたそうですが、藤内になった語源という説もありますね。 ということは、朝房山は藤内神社の古社地である可能性と、山頂の祠は奥宮かもって思いました。
  こうなると藤内神社と有賀神社を調べて・・・ああ、だから吉田神社でってことなんですね。  
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  河輪神社 ( No.68 ) | 
- 日時: 2009/10/26 16:36:32
- 名前: 神楽  ID: YprvjYh.
  
  - >赤城おろしさん
 > 話は変わりますが、18日 武蔵國国史現在社の河輪神社行ってきました。 > 「何で諏訪山に?」と思ったら、何てコトは無い ココって諏訪明神社だったんですね。
  慶長年間に諏訪神を合祀してから、諏訪神社となったそうです。 だから主祭神が元々祀ってあった於迦美神となっています。  
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  参拝作法について ( No.67 ) | 
- 日時: 2009/10/25 22:50:22
- 名前: 神楽  ID: LtziLvjE
  
  - 参道の歩き方は御津垣さんの書かれたのが一般的な神主さんが歩くのと同じで、正しいと思います。
 私も参拝マナーで書こうと思って最初の頃は掲載していたのですが、書き直して今のようになっています。
  そういえば、希に極端に小さい鳥居があって昔は背が低かったからこれで大丈夫だったんだなーって思っていましたが、わざと小さくして礼をするようになっているのかな。  
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  参拝作法について ( No.66 ) | 
- 日時: 2009/10/25 20:35:12
- 名前: 御津垣  ID: re9Yez9.
  
  - 参拝にするにあたっては、様々な作法が存在します。
 それは、神楽さんのところでも、記載されておりますが、 神社巡拝をしていると、当初そういうものと思っていたものでも 「あれ?」と思うものも出てきたりします。 その一例をちょっと挙げてみようと思います。
  以下がそうなのですが、2点ほど。 特に2点目。誰か知っていたら教えてください。
 
  【参道の歩き方】 正中、真ん中は神様の道なので歩かない。 これはどこでも同じなので問題ないのですが、地方なのか神道の系統なのか 分かりませんが、歩く場所が違うので少々戸惑っていたりました。 (まあ、実際のところ、ある程度こうしようと決めてはいますが。)
  その1:  参道の左側を歩き、鳥居(または神門)で一礼後、左足から鳥居に入る。  参拝後は、左側(くる時の反対側)を歩き、左足から鳥居を出て、  ふりかって一礼をする。
  その2:  参道の右側を歩き、鳥居で一礼後、右足から鳥居に入る。  参拝後は、くる時と同じ道を戻る。鳥居で一礼は変わらず。
  で、自分はというと「手水舎」を目安に歩くことにしています。 左にあるときは、左側を。帰るときは反対側。鳥居を入出は左足から。 なので、手水が右なら全て反対としてます。 手水が分からないなら、無条件で左です。 ちなみに、お伊勢さんが参考です。
 
 
  【御陵の参拝】 これが一番悩み。 神社の奥に御祭神の御陵があったりすると、そのままお参りするのですが、 大概他の参拝者はそこまで来ませんので、参考にできません。 拝殿のように、どうしなさいのような掲示もない状況です。
  拍手って打っていいの?御陵てお墓だよね?でも鳥居あるよね? そんな感じなのです。 天皇陵なら事務所(宮内庁HPにはそんな記述はないです)で 聞けばいいのでしょうが、その時は吉備中山。 墓守のおじちゃんにちゃんと聞けばよかったのだが失敗した。 陵印の話ばっかりしてた。。。   どこどこの陵印は、何たらと。
 
  それにしても作法というのは難しいものです。 誰に向かっての作法であるかと考えたりもします。 単純には御祭神にと考えればよいのでしょうが。 ただ、正直に言うと参拝したくないような神社もあるわけで、 付き合い(会社の工事関係で)の関係でどうしても伺わなくてはならない場合は 他の参拝者や関係者に失礼のないようにと考え、表面上ではありますが 礼を失することはしないようにしないとな〜とも考えたりします。 (ちなみに、ここで政治がらみは聞きたくないですよ  ?)  
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  そうですね ( No.65 ) | 
- 日時: 2009/10/23 00:07:42
- 名前: 御津垣  ID: 3Oofr.bk
  
  - ご回答有難うございます。
  確かにそうです。そんなふうには感じます。 あれだけ大きな参集殿がある神社ですし、 商売がうまい分(別に悪意はないですよ)、神職への由緒とか風土記とかの 教育は疎かになってしまっているのであろうか。 いやいや、推測で物事を語るべきではないな。 ただ、もう少しアイデンティティーを大事にしてほしいとだけは言いたいです。
  新田宿諏訪明神と、弁財天らしい龍源院に 直接聞いてみようかな。
 
  余談:  こちらの巫女さんは、装束が似合ってますね。  一瞬、「へ〜」と思いました。  ちなみに、巫女萌えはありませんよ    
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  難しい。。。 ( No.64 ) | 
- 日時: 2009/10/22 23:01:16
- 名前: era  ID: 8te4AP1k
  
  - 自分も鈴鹿神社で根掘り葉掘り聞きだ
 したネタなんですが・・・わかんない ですね。由緒で考えると御津垣さん や赤城おろしさんと同意見です。
  それと感触なんですが鈴鹿神社は この伝承を、そんなに重視していない 感じでしたね。 唯一ひっかかったのが、この鈴鹿神社 の周辺は相模川沿い近辺では珍しく 水が豊富で他のエリアから妬まれて いたって話ですね。有鹿神社の奥宮 の祭りと絡めて考えると示唆的な気が します。。。ははは全然答えになって なかったですね。  
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  座間古説の「諏訪明神」祭祀神社はどこか?  ( No.63 ) | 
- 日時: 2009/10/21 01:03:14
- 名前: 御津垣  ID: x31Ww/eU
  
  - >赤城おろしさん
 こんばんは。そろそろ眠くなってきました。 宿題はまた後で。
  さて、新田宿の諏訪明神ですが、別の宮司様の本務神社になっております。 ちなみに会社勤務の方のようです。先日は休出だったようで、 なかなか忙しいようです。
  それでも、近所の方が毎日箒掛けしているようで、きれいな境内でしたよ。    
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  座間古説の「諏訪明神」祭祀神社はどこか? ( No.62 ) | 
- 日時: 2009/10/21 00:43:33
- 名前: 赤城おろし  ID: SFDDaTgQ
- 編集: 【回数】 1回
  【名前】 赤城おろし  【最終日時】 2009/10/21 00:48:47
  
   - > 本当に、新田宿なのか?
 > 入谷の方じゃないの?
   私もそう思ってましたし、先日行ったのも入谷の方でした    入谷の方は鈴鹿明神社が本務社になってて兼務を公言(?)してますし…。新田宿も兼務してるのかな?
   話は変わりますが、18日 武蔵國国史現在社の河輪神社行ってきました。  「何で諏訪山に?」と思ったら、何てコトは無い ココって諏訪明神社だったんですね。  
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  座間古説の「諏訪明神」祭祀神社はどこか? ( No.61 ) | 
- 日時: 2009/10/21 00:29:09
- 名前: 御津垣  ID: x31Ww/eU
- 編集: 【回数】 1回
  【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/10/21 00:30:10
  
   - eraさん、本記事が座間の件です。
 皆さん、回答お持ちであれば、お教え願います。
 
  「有鹿神と鈴鹿明神」の伝説にででてくる「諏訪明神」についてのお話です。
  自分は、この諏訪明神は、式内石楯尾神社の論社でもある「入谷諏訪明神」と 認識しておりました。 特に詳しく調べた訳ではないのですが、「梨の木坂」とかのキーワード的にも 合っていたので、そう思った次第。
  しかし、先日 鈴鹿明神社で、若いご神職に伺ってみたところ 「そこではなく『新田宿諏訪明神』である」との回答。  ※正確には、鈴鹿明神社の前の道を右に進んで踏切を越え、   しばらくすると西中が見えるので、その先の神社がそうであるとの回答   ちなみに、「弁財天」は現在はそれに該当するものがないとのことでしたが、   近くの「龍源院」は相模七福神の弁財天ですね。   古説同様に蛇がらみの話があるようで、なんとも意味深。
  では、新田宿諏訪明神の由緒はどうかというと、 現在手元にある資料では、ご神職が言うようなお話は見ることができない。 神奈川県神社庁の記事を参考にすると。 「神官、新田氏の祖先が、信州(現在の長野県)よりこの地に移り住んだとき、 故郷の諏訪大社の御霊を分けて祭ったのが当社の起こりと言われています。」 創建も1604年と年代も合わない。
  本当に、新田宿なのか? 入谷の方じゃないの?  
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