遠野から早池峰へ ( No.11 ) |
- 日時: 2009/10/05 14:03:33
- 名前: 御津垣 ID: vaNK8pS6
- 編集: 【回数】 3回
【名前】 御津垣 【最終日時】 2009/10/13 21:30:56
- なんにも思い浮かびません。
ホテルに入っても、酒飲んでいたら寝ていた。
そんな感じではじまる5日目。外は小雨である。 心は憂鬱である。どうすっかな〜?とりあえずは朝飯か。 吉野家で朝食を。まだ、考えはまとまらない。 この近辺で目的をもって行くとしたら、石手堰神社かな? でもまだ時間早いな。道の駅で時間潰すか〜。 メランコリー全開なオーラでてます。
水沢道の駅。ここ小さいですね。車で寝ていると見えちゃいます。 9:00近くまで、ノンビリしましたが流石に限界。 石手堰神社に向かいます。以前伺ったときに、御朱印は郵送で送って 頂くことなったのはいいが、ちょっと遅いので申し訳ないとは思いつつ、 ご自宅に伺うのが目的。催促そのものですね。 神社に向かう途中の県道では、マラソンを行っていた。 雨じゃなかったらよかったのにね。
さて、神社に参拝してからご自宅に電話を入れます。 うーむ、毎度のことながらつながりません。やはりダメなのかな〜? 10分間を空けて再度連絡をします。 数コール後、繋がった。宮司様につないで頂いて、御朱印の件をお伝えする。 どうやら覚えて頂けていたようだ。 住所を書いた封筒が失くしてしまい送ることができなかったことが判明した。 そのような訳で、直接お分けいただくことになった。 1時間後には兼務社の用事で、出かけられるようで、 ちょっとだけお時間を頂いて対応して頂いた。
さて、その後であるが、また暇になってしまった。 なんにも考えていない。 そのうち、皆さんが遠野について言っていたのを思い出したので、 うん、遠野ならなんか雨も似合いそうな感じだな。と勝手なイメージを 膨らませ、遠野に向かうことになった。でも晴れに出直すよ。
ナビに入力するのは、早池峰神社。なんか2社あるようだ。 とりあえずは、遠野。そのあと、花巻としよう。
車は順調に走る。まわりの風景がのどかでよい。道路の脇をなつかしい形状の 電車も走る。そういえば、途中に石上神社の社標がどんとあった。 本当に、何も調べていなかったのでちょっと残念。参拝すべき神社であった。 どうせなら遠野三山に関係する神社全てに。 (玄松子さんのとこで、帰ってから確認しました。) うーむ、いつか山と一緒に参拝する。
山を越え、重要な神遣神社を登山届けのポストと勘違いして通り過ぎ、 漸くして早池峰神社に到着。となりの小学校(?)に車を停める。 なんか、キノコ祭りしてた。すぐ帰るなら購入したんだけど。 いつものように参拝と写真撮影後に、御朱印を分けて頂くのに社務所に 向かいます。どうやら、宮司様は留守のようだ。 「昨日は一日いたのよ。」と言われましても。。。 うーん、残念。由緒書だけ頂いて退去しようとしたが、 郵送でお送りしますと仰ってくださったので、送料分含めてお納めし退去した。 いづれ再訪はするのですけどね。
つづいては、花巻の早池峰神社である。こちらは早池峰神楽で 有名なようである。遠野側は「本社」とうたっているけど。 ちなみに、奥宮はどちらが管理しているのかな? 本宮と若宮とあるようだけど。
牧場地帯のど真ん中と突っ切ります。これはこれで気持ちいいだろうな。 その後、早池峰に近づくにつれ、山の木々は色を濃くし、いつの間にかに回りは 秋一色となっていた。(秋味飲みたい。) 小田越を通り過ぎ、河原宿を過ぎます。早池峰山はさっぱり見えません。 そしてやっと花巻側の早池峰神社に到着します。 こちらもりっぱな社務所を構える大きな神社。 一旦参道を下り、一の鳥居から写真を撮影します。 途中、社務所を覗いてみたが、どなたもいらっしゃらない。 携帯で電話しようにも圏外(めずらしい)。
神門のところに、御朱印を飾ってあったので分けて頂けるようであるが 不在ではどうしようもない。多分、ご自宅なのだろうがどこがそうなのか 近くは全部そう見えて分からない。 いづれ再訪するとして山を下る。
ダムのところの道の駅からは、またナビがいい加減な案内をする。 相変わらず距離第一優先。時間優先という設定はない! 狭い山道で、折壁峠越えである。 目的もないが、とりあえず紫波まで行って給油しようと思う。
紫波の街中で給油後、明日の予定を考える。 天気は、弘前はまだ回復しないようだ。かえって岩手の回復が早い。 それなら、早池峰山に登ろう。そして、また早池峰神社に伺ってみれば いいじゃないかと決まった。
早池峰山に戻ります。今度はナビは無視して安全な道を選択します。 事前の計画が大事なのです。国道396号から県道43号を使います。 途中コンビニで、晩・朝・昼飯を調達。水もあるので、結構大量です。 泊まるのは河原宿登山口。またもや車中泊です。
18時くらいすでに周りは暗くなってます。これからこの山道を行く人は いないのでしょう。車は全く通りません。 自分も照明もなくて怖いので、車からは全くおりませんでした。 ヘッドライト忘れたし。
ビールを空けて眠ります。-
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経塚山(大日岳)登拝 駒形神社奥宮古社地 ( No.10 ) |
- 日時: 2009/10/05 13:54:56
- 名前: 御津垣 ID: vaNK8pS6
- 編集: 【回数】 2回
【名前】 御津垣 【最終日時】 2009/10/13 18:28:43
- 奥州4日目。
今日は、夏油三山の一つ「経塚山」への登拝である。 さて、なぜ「登拝」なのか? それは、駒形神社奥宮は、元々 経塚山にあったと言われているからである。 いわば古社地への登拝なのである。
ちなみに、駒ケ岳の登拝祭の時に 「なぜ一番高い山ではなく、二番目に高い山なのか? 普通(?)に考えれば一番高い山に建てられるのではないか?」 と、ご神職に伺ったことがあった。
答えとしては、元々は一番高い「経塚山」に鎮座していた。 この経塚山は大日岳と呼ばれており神仏混合のなかで、 大日岳(大日如来)=天照大神と認識するようになり、 天照大神に一番高い場所を譲り、二番目に高い駒ケ岳に 遷座したと聞いているとのことであった。たしか。 ※ちなみに、和賀側(旧南部藩)の駒形神社縁起は全く異なる。 こちらは、別の機会に。
さて、話は当日に戻る。 車中では、よく寝れなかったのでちょくちょく起きていた。 3時頃は、星空で晴れていたことを覚えている。今日はいい天気だな? そう思った。しかし5時くらいになるとガスがでてきて状態は あまりよくなくなった。
それでも雨は降っていないこともあり登ることにした。 7:00登山開始と考えていたが、あまりにも暇。 6:30待ちきれなくなり、登山を開始した。
頂上到着予定は、遅くて11:30。4時間7.0kmの行程である。 15分ほどで牛形山との分岐点である。経塚山・駒ケ岳と同様に夏油三山の 一座である。こちらは、また別の機会に登ることにしよう。 これからは、林道をしばらく歩くことになるが長いのなんの。 2.5kmの林道である。一応車も通れるが、ここを通るのは関係者だけだろう? しばらくは登り坂、その後下り坂を経て、登山道に着く。 もう50分経っているのですが、いままでは登山道ではなくて 林道だったのですね?いづれにしても後、たった4.0kmです。
5分程度で有名(?)な「トラス橋」に到着。ちょっと足場が不安でしたが、 問題なく渡れました。いやなに、板が抜けないかな〜と思った次第。 その後すぐに難所が現れる。岩壁である。3mくらいだったかな? ほぼ垂直(ほぼですよ。ほぼ。垂直じゃ登れないです。)の壁である。 若干濡れていて少々怖い。ストックは畳んで、慎重に登ります。
岩壁を越えると、九十九折の山道。急に高度を上げます。 8:30頃であろうか、尾根道を歩いていると、木々の曲がり角の向こうに突然! 人が現れた。始めて人に遭遇した。いや、しかし驚いた。 この方、焼石岳からの縦走とのこと。ここまで1:30と言っていたので、 自分は登りで2:00ということか。 しばらく行けば水場があるはずなので、状態を聞いてみたが、 臭くて飲めたものではないとのこと。 なにが臭いんだろうとは思ったが、まあいい後で確かめればいいこと。
引き続き歩きます。今回は、左膝にはサポーターを装着済み。 それなりには持つはず。 やがて、水場に着く。残りは1.6kmである。 ちなみに、水を汲んでみる。うわっ、なにこれ。温泉の成分ぽい匂いだ。 これは飲めない。もっと動物ぽい感じを想像していたんだけどな。 あと1リットルあるし大丈夫でしょう。
その後10分ほどで、「お坪の庭」に到着。ちょっとした日本庭園である。 こんな庭ほしいぞ。ちなみに案内の距離が2つあって混乱します。
9:40木道のある湿原に到着。お庭からこっちは紅葉の中を進みます。 これで晴れていたらとは思うが仕方ない。 湿原の先は、また樹林。この先は一気に開けるとのいう情報はもっていたので 頑張って歩く。やがて林は切れ、展望が開けます。 先日の駒ケ岳が見えます。望遠なら奥宮がみえるか?とレンズを交換してみる。 うーん、見えるけど。限界があるな。自分のやつでは。
この展望ですが、曇っていてイマイチ。 さらには、雨がぽつぽつと降り出してくる。 だが、雨に打たれるという表現までではない。 頂上はもうすぐ。そのまま歩き続けます。 そして、10:15経塚山山頂に辿りつく。
焼石岳見えない。紅葉はいいけど。雨が強くなった。 「駒形大明神」碑の写真を撮りたいのだが、望遠レンズでうまく撮れない。 雨で交換もできない。つらい写真撮影が続く。
雨が強くなってくたので、さっさと退散します。10分居たのかな? 雨着も上だけでも装着します。
下山中の「お坪の庭」へ降りていくところで、2人組みに会った。 「クマいませんでした?」と聞かれたので 「会ってたらこんな落ち着いてないよ!」と素で答えてしまった。 今考えると、もっと笑いのエッセンスを取り入れて返答するべきであったと思う。
水場近くまで戻ったときであろうか、水溜りができていたので、 それを避けるために、飛んでしまった。こともあろうに濡れた木の上にである。 あっ、しまった。飛んでいる時にもそう思ったのだが、やはりである。 着地した足は、前方向にすべっていく。ああ、やっぱりか。 そして暗転。自分は熊笹の覆い茂る谷間に消えていくのであった。 いや、消えてない 。1m程度で止まった。谷でなかったのが幸いであったが、 これは猛反省な出来事である。死ぬかと思った 。ケガもなかった。
ちなみに、この下山であるがいままでの下山と違い、「登り」も多いのです。 故にそんなに時間に違いはない。九十九折の道では、案の定左膝が痛くなるし。 岩壁は、雨にさらに濡れ、危険地帯と化していた。下りは怖いな。 やがて林道。どこまでつづくのこの登りな感じのあと、牛形山との分岐まで 永遠と思えるような一人旅が続く。行きもそうだけど、小さな蝶が多い。
13:00「天狗の岩」との分岐まで戻ってきた。 折角なので、そちらも見ようと向かってみたが、なかなか着かない。 うーん。見た目ですか、どっかの出羽三山みたいな感じですかね。
そんな感じで無事に下山。夏油元湯で湯に浸かって、水沢に戻ろうと思う。 足も大分痛いし。しかし、露天風呂は大混雑らしい。 内風呂でもいいとは言ったが、川向こうじゃないと空いてないらしい。 どうでもいいので500円払ってそちらに向かう。
風呂は空いていた。ゆったり湯に浸かり疲れを癒します。
明日は岩木山神社に行こうと考えていたが、天候次第。 いま持っている情報では問題なさそうである。 とりあえずは、昨日電話もあったので駒形神社に行くことにする。 経塚山登ったよとの報告もしたいので。
到着後、ざっとお話して経塚山の写真を提供して退去する。 まずは、晩飯である。 市街のすき屋に行って食事をする。ついでに最新の天気を確認。 ん!明日ダメじゃん。どうしよう。 えい、もう市街に泊まってネットで情報を入手しようと楽天で予約し、 チェックインします。
今日は疲れた。-
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氷上山登拝。迷子とクマさんと氷上神社 ( No.9 ) |
- 日時: 2009/10/05 13:52:03
- 名前: 御津垣 ID: AYCkJBFw
- 編集: 【回数】 2回
【名前】 御津垣 【最終日時】 2009/10/13 14:18:48
- 奥宮の話の後、陸前高田の氷上山に登ることにした。
天気はちょっと曇り、今日までは大丈夫のはず。
13:30。中央コース中間にある「赤鳥居」到着。 折角なので表参道、ただし中間位置まで林道を使い車です。 すでに、2台駐車している。途中「すずらんコース」にはなかったが こちらは時間が短くてすむので、こんな曇天でも登山客はいるようだ。 ああ、なんかすでに曇りです。「ちょっと」ではなくなった。
ささと登拝して下山しよう。2時間もあれば? いざ!というところで携帯が鳴る。駒形の権禰宜さんからだ。 於呂閉志胆沢川神社の宮司様に会えたかどうか心配しての電話だった。 あれだけ前日騒いでいたので、心配されても仕方ないか。 とりあえず問題なかったいうこと、これから氷上山に登ることを伝える。 反応はご想像にお任せします。
登拝開始。途中、下山の2組とすれ違う。 しかし、1組目は多すぎ。乗れないよな? 45分後、祈祷ヶ原到着。奥宮の3社は独立して鎮座しているので 少々面倒である。まずは、1社違う方向にある「西御殿」に向かう。 草が自分の背より高く茂っている。林に入ると植生は変わり熊笹となる。 しかし、登山道をも覆う具合である。最近この道を使った形跡がない。 曇りや霧、暗くなるとクマさんがでてきるので嫌なんだよな。 早く用事を済ませたいが、ほとんどラッセル状態。 看板の地図を見るとそんなに離れていない感じ。 しかし、全く見当たらない。 もしかして祈祷ヶ原の草の中にあるのではないか? 不安になったので、一時戻ることにする。
草の中にはないようだ。一旦諦めて「中御殿」「東御殿」を目指す。 すでに、空は怪しい状態。雨は降りそうもないが。 まだ、時間は14時台だよ?やばいな〜
気持ちもあせる。足早にもなる。 「まわり石」という大石の先に(眺めはよい。これで晴れていたらな。。。)、 案内がある。どうやら右にいけば「中御殿」のようである。 右に行く道もあり、とりあえず進む。大分歩いただろうか? 全く見当たらない。沢らしきところまで下りてきた。 いい加減疲れたので、氷上神社に電話して場所を聞くことにする。 宮司様がでられたので、今 氷上山に登拝しているが御殿の位置が分からない旨お話する。 宮司様のお話では、中御殿は今いる道ではなく、真っ直ぐの道を ちょっと行ったところの右にあるらしい。(電話中も怖いので、クマ鈴は鳴らしておく) ちなみに、自分は「すずらんコース」を下山していたようで、 沢はどうやら「川原川水源」だったようだ。
気を取り直して、再び登り始める。 分岐まで戻るが、登ると結構な傾斜だったのが分かる。 さて、真っ直ぐの道を数メートル行くと、右に行く「道らしきもの」がある。 (これって、ケモノ道?)進むが、岩場にあたり覗くが先には何もないよう に見える。うーん。時間がもったいないし、ずっとクマさんの恐怖と戦って いるんだけど? 中御殿を諦めて、東御殿を目指すことにする。
目指して、直ぐにまた右に行く道があった。ちょっと戻るような感じな道であり 「中御殿」の看板もある。その先には、建物が見えた。 なんだ、さっきの道はやっぱり違っていたのか。 東御殿の帰りに寄ることにし、先を進みます。 15:00。ようやく東御殿に到着。 参拝・写真撮影をしてさっさと戻ります。 (写真は載せてませんが、早池峰の頂上のものと同じです)
先ほどの道をたどり「中御殿」に到着。 こちらも同じく参拝と写真撮影です。社殿の反対側にも道があるようなので そちらに行ってみると、先ほど諦めた岩場にでた。 この道も合っていたようだ。岩場の影で見えなかっただけである。
これで、「東御殿」「中御殿」の参拝は完了した。 残りは最初の「西御殿」である。また、あの草むらを通るのは面倒、 というより怖いんですよね。クマさんには会いたくないですね。 さっきの電話で道は間違いないことは確認済み。 どうやら、諦めるのがちょっとだけ早かったようだ。 いそいで、鈴を盛大に鳴らして向かいます。
諦めた地点の数十メートル先、「西御殿」は鎮座していた。 15:20これで、全ての目的は達成した。 しかし、ミッションは下山までが含まれている。急いで下山を開始する。 そしてどうにか16時過ぎに無事車まで戻ることができた。
車を走らせ、氷上神社里宮に向かう。 参拝と合わせて、お礼にも伺おうと思います。
参拝後、社務所のベルを鳴らすと先ほど電話対応頂いた宮司様が現れる。 電話のお礼と、無事3社ともに参拝できたことを報告する。 この後予定もないことだったので、社務所に上がらせて頂いて お話を伺うことになった。 神社に関係することより、高校野球についても話題が多かったかな? 花巻効果?というところか。地元の活躍はうれしいものである。 奥宮関係では、後日再訪して写真を撮りたいとお話したところ 一緒にキャンプをして過ごすお話に発展した。 ちょっと時期は不明であるが、はやくても11月頃であろうか? 楽しみである。
また、アイヌの言葉についても話題があった。 神社名である理訓許段・登奈孝志・衣太手は、アイヌの言葉で、 意味も教えて頂いた。 アイヌに言葉は(東京弁から見れば)独特と感じられるが柔らかい感じがする。 これをもとに気仙の言語ができたのだろうか?
脇道にそれるが、以前ナショナリズムについて学んだことがあった。 その中で、一部学者が、気仙の言語は独立しており、 特殊であると論じているということを聞いた覚えがある。
民族や国民が、言語という概念でできているのであれば、 気仙は一つの国家として成立できてしまう。だが実際にはそうなっていない。 では、なににより民族・国民とは成立するのか?という話であった。
宗教という概念は重要な要因であることは否めない。 が、東欧を見てみると、それだけでは説明がつかない。 宗教は同じであるが、言葉が違う。 宗教と言葉は同じで、文字だけ違う。など 「想像の共同体」中で、著者はこれらの事項について一つの回答を述べている。 (うろ覚えだが)「想像により違いが生まれる」そんな感じであったと思う。 「あれとは違う」と認識し共有し集団ができ、それが民族意識となった ということである。たぶん。
閉話休題。 お話で思い出しただけで、述べたのは気仙の言葉は独特だと 聞いたことがあるということだけなんですけどね。 時間も結構経ち、お暇することとした。 再訪については、別途連絡することとした。
明日は、経塚山登拝である。 天気が分からないが、登山口の夏油温泉に向かう。 途中、コンビニで弁当を大量に購入し、 温泉に浸かり、車中泊とした。
一言 多数派でないから、意見が違うからということで、 除外するのはただの迫害と同じと思う。 少数を内包できる、寛容で大きくあればと思う。 多様性は重要ですよ?-
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於呂閉志胆沢川神社奥宮 ( No.8 ) |
- 日時: 2009/10/05 13:17:18
- 名前: 御津垣 ID: HINu/ghU
- 編集: 【回数】 4回
【名前】 神楽 【最終日時】 2016/06/10 22:52:03
- 於呂閉志胆沢川神社
胆沢郡の式内社2社「於呂閉志神社」「胆沢川神社」の合祀社である。
この神社には、奥宮が存在する。 奥宮は、「式内於呂閉志神社」そのものである。 (ちなみに「胆沢川神社」自体も古社地があるようで要調査です)
しかし、この奥宮に一般人が辿り着くことはほとんどできない。 少なくとも、あと2年(?)ぐらいは。 「岩手・宮城内陸地震」。深い爪あとを残したこの地震は、猿岩近辺にも 大きな損害を及ぼした。結果、復旧工事と安全確保の為、自由に参拝することが できなくなってしまったのだ。
以下は、於呂閉志胆沢川神社の宮司様より伺った内容である。
現在の位置に鎮座するまでに、2回の遷座があった。 当初は、猿岩の頂上付近にあり、その後 少し下がったとこに遷座。 そして、現在地という具合である。 ちなみに、旧社地には特に祠や碑はなく平地となっているだけとのこと。 追記:どうやら石祠はあるようだ。 ちなみに胆沢川神社だという説もあり。
於呂閉志神社の最盛期の頃には、冬季に神職が山里に下りるときには、 お賽銭を降ろすのに馬三頭が必要であったとの話がある。 それだけの参拝者があったということだろう。それは秋田、宮城と広範囲だった。 ちなみに古い神札の残っている地域を学芸員が調査したことがあったようだ。 地域としては秋田・宮城までの広範囲に及んでいたという。 この結果より崇敬者の分布が推測できるようだ。 ちなみに、面白いことに近くの北上側では発見されていないとのこと。 ※これは、伊達と南部の藩境がこの地域に あった為であろう。
今後の奥宮についてであるが、 胆沢ダム完成後は、猿岩隧道の上部分まで、水位が上昇するとのこと。 現在 お祭りに使う椿は、このあたりではなかったか?心配だ。 猿岩への道は、ダムの対岸から新しい橋が猿岩にかかるように 作られ猿岩側に駐車場ができることになっている。 簡単に伺えるようになるのはいいが、ごみが心配だ。
ところで、昨夜の飲み会の話でしたが、 なんかその後連絡がなかったので、行かなかっただけとのこと。 白山の宮司様からの電話を待っていたらしい。 うーん。あの時の様子だと忘れたな〜
自分の写真の使用は自由ですが、 自他の区別の為、どこからの流用かは記すべきだと思います。-
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止止井神社と宮司様 ( No.7 ) |
- 日時: 2009/10/05 13:10:04
- 名前: 御津垣 ID: tSlBJnhc
- 編集: 【回数】 3回
【名前】 御津垣 【最終日時】 2009/10/17 16:34:32
- 14:15 止止井神社到着。
宮司様は居るのかな?いなければ誰か対応してくれるよとは仰っていたけど。 幸いにも氏子さん2名と参集所にいらっしゃった。 御朱印の件をお話すると、「おー待ってたよ」とのこと。 あれ、もうちょっと早くきた方がよかったかな? それに大分 気持ちよくなっていらっしゃるようだけど、 そちらも大丈夫かな〜。 なんでも普段はあまり対応しないが、わざわざ来てくれたのでとのこと。 最近は賽銭箱に「御朱印をお送り下さい」と初穂と一緒に収められていることも あるようらしいが、気持ちはよくないらしい。
で、御朱印(と御下がりのお米とお餅。大根とかも。 )を分けて頂いてから。 今日は、水沢の北ホテルに泊まるということ。昨日は駒形神社の様子等を (例祭を見に行くことは電話で伝えていたので)お話していると、 「じゃあ駒形神社に飲みに行こう!」と電話をかけ始め、 向こうのご神職にお酒用意しておいてね〜てな感じでお話される。 あれ?なんか展開が変だぞ。当然 自分も含まれている話具合である。
車はどうするんだろう?と思っていたが、運転手は自分らしい。 宮司様の車はそのまま駐車場に置き去りに。 まずは、宮司様のご自宅までお送りし普段着に着替える。 その後、時間もあったので折角なので、本務の白山神社に連れてって頂いた。 (もちろん運転は、自分です。 )
白山神社。こちらも807年創建の歴史あるお社である。 胆沢城関連がこの年代に起きており、この年代創建は多いとのこと。 うーん。折角くるなら、式内社だけでなく風土ももっと勉強しないといけないな。
では、駒形神社に向かいます。 なんでも、白山神社の宮司様は、昔は駒形神社に奉仕されていたとのこと。 そんな訳で、よくご存知なわけです。ちなみにこの地域の神社支部長さん。
駒形神社到着。まだ、始めるにはちょっと早いかな。 とりあえず、「白山神社 お抱え運転手です。」とご挨拶。 当然笑われた。
駒形の宮司様は、「もう来たんですか?もうちょっと遅く来てって言ったのに。」 うーん、自分知らないもんね。まあ顔が笑っているから、いいでしょう?
白山の宮司様の手土産は、鮎。北上川でご自身で釣り上げたものらしい。 ちなみに、このあたりのご神職方は、釣り仲間でもあるみたい。 イカ釣りの話題でも盛り上がる。 そのうち、於呂閉志胆沢川神社の宮司様にも電話を入れて飲みのお誘い。 すごい面子だ。 ちなみに於呂閉志胆沢川神社の宮司様には、奥宮の件で、 明日もお会いすることになった。
盛岡の酒「あさ開」。初めての銘柄だけどこれ美味しい。 最初は、送っていくつもりだったので、飲まなかったのですけど。 白山の宮司様に、勧められたので。ついつい飲みすぎ。
いやはやそんなこんなで時間は過ぎ、20時近く。 折角なので街中に繰り出して「よさこい祭」を見ることにする。 権禰宜さんと街中に。白山の宮司様とは、後ほど合流することになった。 水沢の街に出たのはいいが、祭りは終わっていた。。。残念。 仕方なしに、宮司様から連絡があるまで、近くの居酒屋で飲むことに。 1時間くらい雑談していると。やっと電話。 近くの居酒屋に場所を移します。
それからは、宮司様からの歌唱判定会に突入。 厳しい審査が続きます。結果、駒形の権禰宜さん、自分ともに落選。 修行して出直します。 ところで、於呂閉志胆沢川神社の宮司様は?と頭に「?」マークはあったが まあ、お忙しいのだろうと思い何も言わなかった。 (このあたりは翌日判明。)
翌日の約束があることをご存知だったので、2人はある時間で釈放。 宮司様は、禰宜さんがいらっしゃってまだ飲むみたい。
よい一日であったとつくづく思う。
追伸: そういえば、本殿の後ろの石について聞こうと思っていたが忘れた。 -
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焼石駒ヶ岳登拝 ( No.6 ) |
- 日時: 2009/10/05 13:01:15
- 名前: 御津垣 ID: kcRcA.2o
- 編集: 【回数】 4回
【名前】 御津垣 【最終日時】 2010/11/30 09:46:52
- 奥州2日目。
ちょっと、というより結構頭痛い。 それでも、今日は午後から約束もあるので、ささと動かなくては。
ホテルの駐車場で、ナビに北上の和我叡登挙神社古社地の住所を入力。 あれ、予想と反して大分遠いぞ? これじゃ胆沢郡じゃないな〜。やっぱり後で北上市史第二巻をよく見てみるか。 そもそも胆沢郡に鎮座なのに頭に「和我」が付いているのは怪しいんだよな。 郡名も「和我」から「和賀」に変わっているし。
延喜の神明帳ができるまでには、胆沢郡にあったことになるので。 和賀からに遷座があったのか? 802年胆沢城 804年志波城(水害→政治機能の移動) 812年徳丹城(機能低下)。
808年 陸奥国鎮守府が国府多賀城から胆沢城に移り鎮守府胆沢城となる。 政治機能が、胆沢城まで南下したと想定して、その経緯で和賀から移ったとか? うーん。さっぱり分かりません。想像の範囲ですね。 そもそも郡名と同じかも不明ですし。でも、考えを巡らすのは楽しい。 知ってたら誰か教えてくだはいな。
さて、気を取り直して取り敢えずは向かいます。 目的地は、北上市飯豊町。ここにある飯豊森が古社地と言われている。 うーむ。たしかに神奈備と言えばそうだな〜。 森の入口に車を停めて、登り始めます。5分程度で頂上に到着。 今は観音堂と、石碑があるだけで当時を思い浮かべることもできません。 観音堂の写真をもっと撮りたかったが、蜂の巣が裏手にあると看板があるので 諦めて下山します。
まだ、9:00過ぎ。時間もあるんで、予定繰り上げて、 金ヶ崎駒ケ岳に登拝することにした。 途中のローソンで、遅い朝食と山で食べる昼食を購入。 朝食は、ちょっと(いやいや大分です)遅いけどカーボンローディングで スパゲティ。昼食はお握り3つ。
登拝祭以来の、金ヶ崎登山口に。場所はナビにでないので勘でセット。 意外と道を覚えているもので、問題なく到着。ナビには表示されないね、ここ。 すでに5台ほど駐車。 準備をして、10:20登山開始。もちろん登山届けは記入済み。 クマは怖いけど、大体にして活動時間は早朝と夕方。 完全ではないけど遭遇率は大分低いと思うんですけど。まあとりあえず行きます。 クマ鈴は当然つけます。 5名程途中で抜いてきて、1:20後、頂上に到着。お一人が先着しており のんびりされていた。 「おー、やっと念願の奥宮が撮れる」ということで、写真撮影開始。 祭りの風景もいいけど、現奥宮はデータとして残しておきたいので、 建造物のみで取りたかったのだ。来年にはもう見ることはできないのだから。
カメラは、一眼レフが不安(使えこなせてないだけ )なので、 コンパクトデジカメも持参。やはり空の色が満足に出せないが、 コンパクトカメラは問題なし。
写真撮影していると、夏油側から3名ほど登ってこられた。 奥宮の看板を見て、色々聞いてきたので説明をしておいたが、 もっと情報があればとの要望だったので、神社にもご連絡しておいた。 (「今、頂上です」と言ったら笑われてしまったが。)
ちなみに、夏油側の1名は、自分の出身中学の校長をやっていた奥さんらしい。 お住まいは、四街道らしいけど。なんで岩手の山頂で。。。世間は狭い。
今度登る予定の経塚山を望む。もう紅葉が始まっている。 あちらは頂上まで4時間かかる。
皆さんを残して一人でさっさと下山します。 約束もありますしね。 40分後、登山口に到着。まあまあのタイムかな。 着替えて、急いで止止井神社に行かなくては。 人がいないので、真っ裸になって普段着に換装します。
胆沢は、全国でも有数の扇状地なので車での下山は風景も楽しめてよい。 全開の窓から牧場地を渡る風を一身に受け、車を走らせる。 きっもちいい♪。(パチンコ CM風 )
つづく-
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駒形神社例祭 ( No.5 ) |
- 日時: 2009/10/04 01:20:22
- 名前: 御津垣 ID: lXcrI/rA
- 編集: 【回数】 2回
【名前】 御津垣 【最終日時】 2009/10/08 14:56:19
- ちょっと、ガソリンがピンチ。
長者原SAで長い給油の列に加わり無事 給油完了。 1000円だけどね 。あとは、高速降りてから。
ナビは、平泉前沢ICで東北道を降りろと指示してくるがシカト。 水沢ICまで車を進める。こっちのが近いし。 どうせ、1000円だもんね。ついでに行きつけのガソリンスタンドも近い。 (関東の人間が、奥州市に行きつけのガソリンスタンドというのも変だが。)
例祭で、どのくらい参列者がいるか分からないので 念のため、駒形神社近くのZプラザアテルイの駐車場に車を停める。 なんかバスが数台停まっている。いつもは雑然としている場所にも 白線が引いてある。
うーん。例祭で、ここまで人が集まるのか〜。ちょっと大変だな。 (実は、翌日街中で行われる「よさこい祭り」関連だったみたい)
ともかくトイレで、スーツに着替えます。靴もフォーマルな黒のストレートチップ。 そうそう、歯磨きも忘れずに。 私服から、スーツ。サンダルから革靴。そして歯磨き。 ちょっと、視線が痛いです 。がまんがまん。
で、9:10ようやく駒形神社に到着。 こんな格好で参拝はもちろん初めて。地元の神社と、お伊勢さんくらいかな。
例祭次第を把握してなかったので、ちょっと早めのつもりであったが 開始一時間前、なんか丁度良かった感じ。ちょっと準備で慌しい感はあったが。
とりあえず。ご神職の方々にご挨拶。到着時間と格好について驚かれた。 向こうは午後くらい現れると思っていたようだけど、 それだと例祭終わっているじゃないですか〜。 まあ、駒ケ岳再登拝が、第一の目的とはお話していたのは確かですけど。ぶつぶつ。 それに、於呂閉志胆沢川神社の宮司様も帰っちゃうし。 (例祭後に、駒形神社のご神職からご紹介頂ける事となった。)
ともかく、拝殿で写真撮影させて頂けることになった。 例祭次第を確認し、拝殿でカメラの調整をする。
ちょうど、駒形保育園の園児による巫女舞の予行演習もあり撮影してみる。 うーーん。なんか調整もそうだけど。カメラの動作が遅い。 やはり、コンパクトフラッシュはもっと高速にした方がよかった。 動きについていけない。シャッターチャンスを逃してしまう。 (ちょっとのお金をケチっちゃいけません。) また、カバーできる範囲がぜったい狭い。広角レンズほしい! なにより、色彩とシャッタースピードが全然ダメ。 まだまだ、使いこなせてないな。。。修行修行。ふう。
例祭が始まるまで、ふらふらと。 登拝祭でご一緒だった祭典委員長がいらっしゃたのでご挨拶。 この方、市街の北ホテルの支配人も勤めていらっしゃるので、 「ホテルにもお世話になります」ともお話しておいた。神社からだといい立地なんで。 他にも、見たような方々が大勢。皆さん、「おっ、今日も来たの?」てな感じですが、 気持ちがよい方々ばかりです。
さて、例祭が始まります。定刻10:00。 斎館前から参進。修祓後に拝殿に。
厳かに例祭は進みます。雅楽はいいですね。 ちなみに「笙」って、温めながら使っているのですね。 そういえば、宮司様も、龍笛か篳篥(だったような。。。)が達者なことを 聞いた気がする。うろおぼえ〜。
献饌の儀と、徹饌の儀はお邪魔になるので拝殿の外に。 また参列者方の気を害さないようにと。 (でも、もっと遠慮しなくてもいいと後で言われ、ちょっとショック。 来年腕上げてからまた頑張ります。)
で、実際の祭典中ですが、うー、いい写真撮れない。 思ったとおり書き込み時間が長く、撮影チャンスを逃す。 シャッター速度が遅い。拝殿の内外での明るさの調整が間に合わない。 それに、やっぱりこんな時は2台必要だ。広角と、ズーム用に。。。
園児による巫女舞は、見ていてちょっと楽しい。 午後からの神楽殿でも、検討してもらえないかな〜。 午後からの参列者や、園児のご両親たちも喜ぶでしょうし。 拝殿の中ですと、一部の方々しか見れないので。
滞りなく、例祭は修了となる。 修了後は、お約束通りに、於呂閉志胆沢川神社の宮司様をご紹介して頂く。 実のところ、胆沢ダム〜奥宮への立ち入り許可証を頂ける手筈だった。 が、そんなに世の中甘くない。 個人での立ち入りを許せば、後にも許さなくてはならない。 事故発生時は誰が責任を取るのか? 至極当然な質問が、お役所からあり許可は得られなった。 当然、想定していたこと。とはいえ少々ショックではある。 それでも、宮司様がお時間を割いて、問い合わせ頂いたことだけでも 十分有難いこと。お礼を述べて、自分は昼食に。
昼食は、以前教えて頂いた近くのカレー屋「ジャマイカン」。 たしかにうまいとは思うけど。もうちょっと量がほしいな〜。
午後は、宮司杯民謡民舞大会。特に予定もなく写真を撮影。 参加者毎に写真撮影。立ってばかりなので、足が痛いな。それに眠く。。。 神社の裏の方で、椅子に座って一眠り。 そういえば、山神社の裏にある「奥宮遥拝所」は、ネットで見たことないですね。 全員見落としているということはないでしょうけど。不思議だ。
そうこうしているうちに、17:00近くなり大会も終盤に。 神社のご好意で、直会に参加させて頂けることになったので、 ホテルに車を置いて戻ってくることにした。 戻ってきてみると大会は終わっていたが、その後 楽しく飲食をさせて頂き 奥州での一日目は過ぎていった。
明日は、和我叡登挙神社の古社地(北上市)と、止止井神社に伺う予定。 ちなみに、「北上は、胆沢郡ではないよ。」とのご指摘を頂いた。 自分は地図で、場所を把握していなかったので、勝手に市の境あたりで、 川の流れの変化程度じゃないのかな〜と思っていたのだが。。。
つづく-
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がんばって ( No.4 ) |
- 日時: 2009/10/01 22:44:57
- 名前: 神楽 ID: i7GnwXAQ
- え、結構楽しみにしていますよー。
駒形神社のこととかー。
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いえいえ ( No.3 ) |
- 日時: 2009/10/01 20:28:32
- 名前: era ID: 4MGO9uXk
- あたしゃ待ってますよ。
自分も十月試験で神社は小休止。 お互いに頑張りましょう。
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陸奥紀行 序章 ( No.2 ) |
- 日時: 2009/09/28 08:58:10
- 名前: 御津垣 ID: hzDFHzsc
- 編集: 【回数】 8回
【名前】 御津垣 【最終日時】 2009/10/05 14:28:44
- シルバーウイーク。とってつけたような感のネーミングである。
そのうちGWと同じように「SW」とでも略することになるのであろうか? どうせなら、元素記号分作ってほしい。。。
さて、秋冷の時節、自分はまた東北に向かう。 連休前の週間予報では、連日の晴天! 今回は、写真の撮りなおしも含めての登拝を多数予定している。 そのような状況には、何よりの朗報であった。 (の、はずでしたけどね〜 )
出発に際して、若干いつもと違う事態が起きた。 職場の人間を、実家のある仙台まで送ることになったのだ。 とはいえ、もともと水沢まで行くので大した問題ではない。 東北道では交代で休憩できるし、こっちとしては願ってもないことである。 新横浜まで、(大変迷ったけど)迎いに行き、横浜青葉から東名に入る。
道路状況は概ね安定。首都高にも(めずらしく)大きな渋滞はないように見えた。
しかし、首都高に入ったあたりから、状況は一変する。 さっきまでなかった、渋滞情報を示す「赤」が一斉に現れる。 ぜんぜん進まねー 。それは、東北道に入っても変わらなかった。 なんで、こんなところで渋滞しているの?いつもはガラガラの下り車線には 大量の地方への脱出組。はっきりETC割引&大型連休をなめていました。
同乗者を、仙台のPAで降ろす。これからは、一人旅である。
まずは、向かうは水沢の駒形神社。最近なにかと足を運ぶ神社である。 本日は例祭。お邪魔にならないように写真を撮らせて頂こうと思う。 また、岩手県神社庁からいらっしゃる、於呂閉志胆沢川神社の 宮司様ともお会いすることになっていた。
つづく
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