由豆佐賣神社 ( No.31 ) |
- 日時: 2009/10/21 23:37:53
- 名前: 御津垣 ID: 1jwAoHZQ
- 編集: 【回数】 2回
【名前】 御津垣 【最終日時】 2009/10/24 14:21:50
- >eraさん
お疲れ様です。 よく、由豆佐賣神社の御朱印頂けましたね。 たしか禰宜さんは「たみや旅館」の社長でしたよね? 以前、お願いしたときは、ダメでしたのに。。。 リトライしてみます。
情報有難うございます。
でも、最大の敗因は、例祭の日だったことかな? 偶然ですけど。(去年です。)-
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御津垣さん ( No.30 ) |
- 日時: 2009/10/21 23:01:19
- 名前: era ID: bwcaUoas
- 飯豊の意味なるほどです。
登るのシンドイですよね。
東北情報 鶴岡市井岡の遠賀神社と由豆佐賣神 社は御朱印ありです。
別件了解です。半分死んでいるんで 明日にでもです。
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『和氣』の意味について ( No.29 ) |
- 日時: 2009/10/21 01:46:03
- 名前: 御津垣 ID: HINu/ghU
- 編集: 【回数】 1回
【名前】 御津垣 【最終日時】 2011/10/06 17:46:57
- webからの参照だけだと、レポートは「×」ですが。
まあ、いいでしょう。眠いし、ご勘弁のほど。 なんで「×」か? だって、書かれている根拠が不明確でしょう。
(1)尊称 こちらのがすっきりします。 -------------------------------------------------------------------------- 「別」は本来「地方を分け治める者」の意で5・6世紀の皇族名に 多くついているが、男子の敬称である。のち、皇別系の姓となる。 天武天皇十三年十月に制定された「八色の姓」には入れられていない 古い時代の姓である。 -------------------------------------------------------------------------- 参考 ttp://www.zb.em-net.ne.jp/~kiokunomori/html/mukashi/shinnmei/shinnmei.html ↓ ↓ 「和気」「別」「わけ」とは、神の尊称かな。
(2)アイヌ語 全国にあるすべてには、対応できないでしょう。 「誉田別命」とか、上述なら説明はできますが、アイヌ語ではないでしょう。 そんな訳で以下のものは限定されます。
岩手の式内社 志賀理和気神社を例に、アイヌ語で社名を解析できないか そんな試みをしているサイトがありました。 -------------------------------------------------------------------------- wakka=水、の訛なのか、それとも、アイヌ語で河川を表す pet ペツ(しばしばベツとも聞かれる)だったのを「別」と表記した事があって、 それが原義が忘れられるにつれ、「わけ」と読まれるようになってしまったもの でしょうか。
「しかり」は「回流」の意味ですが、「逆流」ではなく、蛇行している様子を 意味していると思われます。それは、三日月湖を多数作った「石狩川」が 「i-sikar」(大きな回流)と理解できるからです。
以上から、シカリベツは「回流する川」の原義だったのではないでしょうか。 北上川に近接しているこの神社の名前にしては、良く適合するように思われます。 -------------------------------------------------------------------------- 参考: ttp://www.dai3gen.net/kitakami.htm
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飯豊の意味 ( No.28 ) |
- 日時: 2009/10/21 00:21:58
- 名前: 赤城おろし ID: SFDDaTgQ
- >御津垣さん
序でと言っては何ですが… 「和氣」が多い理由はご存知ですか? もし良かったら御教示下さいませ。前々から気になっていたんですが(「だったら自分で調べろ」ってか? 笑)。 何だか御津垣さんってコッチの方面に強そうだから…。
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飯豊の意味 ( No.27 ) |
- 日時: 2009/10/20 23:16:59
- 名前: 御津垣 ID: nY0GEUt2
- こんばんは。
「飯豊」すべてについては分かりませんが、ざっと調べてみました。
分かったのは2つだけ。(諦めがはやい ) 東北に多い理由は、多分以下の(1)飯豊山を中心にした地域に 付けられているからではないでしょうか? 信仰の山ですし。
(1)飯豊山(イイデサン) 「山容飯を豊かに盛るが如き」 ※典拠 wiki いつか登りたい山。飯豊山神社にも参拝したい。 しかし、6時間強x2日行程は厳しい。
(2)飯豊森(イデモリ) 長いので、以下をご参照のほど ttp://www.ihatov.cc/mount/04.html
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了解です ( No.26 ) |
- 日時: 2009/10/19 23:09:44
- 名前: era ID: CuNPHUqE
- 自分程度にわかることならどうぞ。
東北って飯豊って多いですよね。 なんでしょ?
明日自分も東北いってきますよ。エリア 違うんですけどね。
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陸奥紀行閑話その3(飯豊森) ( No.25 ) |
- 日時: 2009/10/19 00:37:30
- 名前: 御津垣 ID: AK7SxnUc
- 編集: 【回数】 1回
【名前】 御津垣 【最終日時】 2009/10/19 00:38:45
- 今回は、北上市飯豊町にある飯豊森です。
式内社「和我叡登挙神社」古社地とされているところです。 (北上市史第二巻はまだ読んでいません。早く読まないと。 )
頂上には、神社じゃなくて寺院系のものがどんと構えています。 もちろん出羽三山や、山神様、庚申塚等お馴染みのものを見ることが できます。 ちなみに灯篭等、地震で崩れているようですね。こちらも。
入口の案内には、春・秋にお祭り(祭神とある)があるようであるが、 どうやってやるんだろうか?
ともかく、外部の人間が式内どうこう言いのは申し訳ないくらいに 近隣の住民からは「里の守り神」として愛されているようです。 そうですね。鎮守神というより、むしろ古来から生活を見守っている産土神。 よい感じです 。
写真 右:飯豊森全景 中:飯豊森案内 左:頂上風景
追伸: eraさん、試験お疲れ様でした。 解答でてましたね。自己採点された感触でしょうし 結果は問題ないんでしょう。いいな〜。 自分は、やっぱり理系は苦手です 。暗記ものがいいです。
そういえば、相模は式内社論社含めてとりあえず巡拝完了です。 別途整理してからお話します。ちょっと訳ありで11月中旬以降かな。 ちなみに、座間の神社のことで確認したいので、あとで別スレッドに 記載します。-
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素敵ですね ( No.24 ) |
- 日時: 2009/10/18 20:43:47
- 名前: era ID: h6ToXQRA
- 沼を越えた彼方の神・・・グッときます。
御津垣さんの東北紀行凄く役に立ち ますよ。岩手の式内行脚楽になりま すよ。
よく宅建なんてわかりましたね!けっ こう面倒ですよ。 御津垣さんの試験の結果は? こっちはギリギリ合格くさいですよ。
体調気をつけてくださいね。紅葉は神 社スキーには素晴らしいシーズンです かたね。自分は但馬の紅葉見にいき ますよ。
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陸奥紀行閑話その2(白山神社) ( No.23 ) |
- 日時: 2009/10/17 16:45:21
- 名前: 御津垣 ID: tSlBJnhc
- どこまで続くか分からない気まぐれ掲載です。
主題で扱っているが、ちょっとの記述で終わっているところに 焦点をあててみます。(思いつきなので、氷上神社奥宮からがそうなる。)
さて、今回は「奥州市前沢区 白山神社」。 止々井神社を見てらっしゃる宮司様の本務神社です。
いい雰囲気の神社でしたが、後の予定が詰まっていたので 早々に切り上げてきてしまった。 後日、再訪してみようと思う。写真撮り足らんし。
ああ、前沢牛。。。
−御祭神− 伊邪那岐命 誉田別命 素盞男命 月夜見命 大日霊命 迦具突命 伊邪那美命 水速女命
−由緒− 平城天皇の大同二年(807)、大将軍坂上田村麻呂が東奥鎮撫の折 この地を通過し、平野の中央に自生の麻が繁殖せるを感じ、 一社を勧請し麻生神社と称す。 往古より氏子等が報賽として麻糸を奉納せり。 その後、康平元年(1058)源義家が安倍の一党を追討の折に この地に陣営し、当社に祈願す。神験の尊き霊社なり。 後年に白山神社と改称す。
−旧社格− 村社
−例祭− 4月19日
そいでは。-
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陸奥紀行閑話その1(氷上神社奥宮) ( No.22 ) |
- 日時: 2009/10/17 13:55:09
- 名前: 御津垣 ID: tSlBJnhc
- 編集: 【回数】 1回
【名前】 御津垣 【最終日時】 2009/10/17 16:27:29
- 今回は、氷上神社奥宮についてです。
迷子とクマさんの記事には、奥宮の写真を載せていませんでした。 その理由は、写真を見て頂くと分かると思いますが、 一見して違いが分からないからです。
それでは、一社だけ載せておけばいいか? いや、それは失礼だな〜。ということで、全部載せませんでした。 今回は、全部掲載します。
そうとうの風雪なんでしょうね。これだけの覆いをしているのですから。 (早池峰山もそうでしょうし。)
そういえば、この扉の錠ですが、以前盗難にあったみたいです。 宮司様のお話では、当初 立派な錠を付けていたが、チェーンを切って 錠だけ持っていかれたとのこと。(錠だけで、鍵はどうするんだろ?) ちなみに、中は荒らされていなかったとのことです。
では写真の説明を 左:西御殿「理訓許段神社」 中:中御殿「登奈孝志神社」 右:東御殿「衣太手神社」
この続きは氷上山キャンプ後に。-
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