駒形神社(奥宮)御朱印 ( No.26 ) | |
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- 日時: 2012/11/25 00:18:56
- 名前: 零 ID: ozmFP6uo
- 駒形神社、奥宮の御朱印もはじめられたんですね〜
来年夏にでも登拝してきたいです。
頂上の奥宮に御朱印がある神社は、かなり廻ったつもりですが、飯豊山と早池峰山についてはなかなか情報がなくてわからないです。
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駒形神社(奥宮)御朱印 ( No.25 ) | |
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- 日時: 2012/11/23 16:13:43
- 名前: 御津垣 ID: .yeNFMKI
- 編集: 【回数】 1回
【名前】 神楽 【最終日時】 2012/12/25 14:46:46
- これが今年最後の焼石駒ケ岳と登拝してきました。
上賽の河原を越えたあたりから雪が目立ち始め 頂上には2cmくらいの積雪がありました。
曇天ではありましたが、幸いガスってはおらず 経塚山を含め焼石連峰、振り返れば早池峰、五葉山まで はっきりと見ることができました。
頂上は、風が強く非常に寒い。 完全防備はしておりますが、一刻もはやく退散したい気分です。
さて、奥宮ですが、そんな状況下でもちゃんとお参りはしています(汗) 奥宮の社殿、北に面する側面にはうっすらと雪が張り付いておりました。 冬季の厳しい情景が浮かぶようです。
午後から天気は下り坂。雨が降り出す前に下山します。 猛烈な低気圧が接近しているので、ここも明日には完全な雪山でしょう。 (翌日は低気圧からの強風。一瞬の晴れ間から見たお山は、雪化粧が完了してました)
下山途中、小雨に振られたが無事に車にたどり着く。
---------------------- その後、金ヶ崎町の永栄地区に向かい石碑調査(詳細は別途)。 そして、『スパおあご』が休館ゆえ、ちょっと遠い『ひめかゆ』で湯につかる。 ----------------------
水沢の駒形神社に到着したときには、夕方も遅い時間となっていた。 奥宮に登拝されている方で、 「登拝 駒形神社奥宮」と御朱印を分けてもらっている方を見ていたので、 折角なので自分もとお願いをする。
見開きで本社、奥宮の御朱印を分けてもらう。 戻ってきた帳面には見知らぬ印がある。 前から、奥宮の印について問い合わせが多いとは伺っていたが対応されたようだ。 同時に8/1に催行される『奥宮登拝祭』印も用意されていた。 需要はそれほど多くはないであろう。なにせ一年に一回しか授与されないものだ。
これからは雪山シーズン。 素人は、登山口にさえたどり着けない状況となる。 登拝をとお考えの方々には、5月末まで待たれることを勧めたい。
水沢本社の境内社「山神社」裏の『遥拝所碑』にて、 かつてを偲ぶのもこれからの季節にはいいかもしれません。
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水晶山神社 ( No.24 ) | |
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- 日時: 2012/11/07 18:33:44
- 名前: 御津垣 ID: efHGXOkE
- 編集: 【回数】 3回
【名前】 御津垣 【最終日時】 2012/12/07 21:04:35
- 水晶山神社
【御祭神】大物主命、大国魂命 【祭祀】 例祭 4月8日 【鎮座地】天童市川原子字水晶山1 【旧社格】郷社 【駐車場】あり
−由緒(山形県神社誌より)− 社記によれば「太古大国主神、蝦夷征伐のために東下の際、 最上湖水洋々たるを見給い、大いに御心にかない屯営を水晶山に選定し、 悉く四方の夷狄を征服し給い神蹟なるを以て大神の新魂を鎮め奉りし神社なり」 と伝えられるが創立年代詳かでない。 中世になって山岳修験が盛んになるにつれてこの水晶山も修験の山として かなり盛況を呈したと思われる。 現在太い石柱だけが残っている谷地中の石鳥居は水晶山信仰の名残りである。 その後、神仏を混淆して山麓に真義言宗玉虫山大和寺を建立し、 十一面観世音、蔵王権現を合祀、天正年間山形城主最上家の領地となる。 最上義光は山形大黒山宝憧寺を別当職に任じてこの大和寺を廃するに至る。 慶安年間山形城主松平下総守忠弘は社地として五、四三〇坪の寄進を行う。 明治十二年八月十二日郷社に列せられる。
−水晶山に関わる略年表(山口地域づくり委員会『水晶山に親しむ部会』)− 702年 大宝2年 役行者が水晶山を開山(伝承)
708年 和銅元年 行基菩薩が若松寺を開山
860年 貞観2年 慈覚大師(円仁)が立石寺を開山
867年 貞観9年 朝廷が出羽国の霊山寺を定額寺に指定(水晶山が有力) 水晶山の霊山寺には三堂一院(東堂・中堂・西堂・別院)があったと みられる。
871年 貞観13年4月3日 出羽国利神(水晶山大和神社)従五位下を授く
875年 貞観17年 大和寺(東根市猪野沢)建立
1192年 このころ谷地中の石鳥居が建てられる。
1584年 天正12年 最上義光と天童頼久の合戦、天童氏敗北。 最上氏は天童に愛宕神社を建立し宝憧寺(山形)を別当寺とする。 水晶山は宝憧寺領となる。
1792年 寛政4年 水晶山に山姥一体が建立される
1798年 寛政10年 二体目の山姥が建てられる。
1817年 文化14年 二神仏の石塔(水晶山蔵王大権現・十一面観音)建立。
1868年 明治元年 神仏分離令発布により廃仏棄釈運動おこり、仏像等散逸。
1913年 大正2年 水晶山参道並木の大杉払い下げ伐採
1915年 大正4年 杉の払い下げ記念として鳥居を建立(水晶山案内板脇)
1953年 昭和28年 大和神社と水精山神社が合併、水晶山神社となる。
写真 ・水晶山案内板脇の鳥居 ・拝殿 ・本殿(「奥の院」と呼ばれている)
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行方8社の相馬太田神社兼務社について ( No.23 ) | |
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- 日時: 2012/11/04 18:31:43
- 名前: あず ID: XGPSpRME
- 参照: http://www.panoramio.com/user/2662284
- 行方8社は厳しいですなあ
行方郡 高座神社 高座神社(南相馬市原町区) 御朱印:なし 駐車場:あり(境内前に1台ほど) 特記:民家の前を通る道の奥に鎮座、分かりづらいので注意。 本務 相馬太田神社
行方郡 日祭神社 日祭神社(南相馬市原町区) 御朱印:なし 駐車場:あり(境内に1台ほど) 特記: 本務 相馬太田神社
行方郡 冠嶺神社 冠嶺神社(南相馬市原町区) 御朱印:なし 駐車場:なし 特記:常磐道南相馬ICそばの山の中腹に鎮座、社殿までひたすら階段を登る 本務 相馬太田神社
行方郡 押雄神社 押雄神社(南相馬市原町区) 御朱印:なし 駐車場:なし 特記: 原町区押釜に古社地(石碑) 本務 相馬太田神社
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小掠賣神社 ( No.22 ) | |
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- 日時: 2012/10/21 18:09:37
- 名前: 御津垣 ID: efHGXOkE
- 編集: 【回数】 2回
【名前】 御津垣 【最終日時】 2012/12/07 21:23:19
- 小掠賣神社(おしめじんじゃ)
【御祭神】小椋賣命、大山祇命 【祭祀】 例祭 5月11日 【鎮座地】酒田市楯山字大村山12−2 【旧社格】村社 【駐車場】あり 【御朱印】未確認 【本務】 玉池神社
祭神の小椋賣命は、 『日本三代実録』巻二十四 貞観十五(873)年六月廿六日己未 において、以下のような記載がある。 ------------------------------------------------------------------- 節婦出羽國飽海郡人伴部小椋賣。伉儷亡後。廬於墓側。爲尼持戒。苦行精進。 叙位二階。免同戸租。旌表門閭。 -------------------------------------------------------------------
−由緒(山形県神社誌より)− 六国史で日本史上貴重なる文献とされている三代実録に、 小掠賣神社について次の様に記述されている。 小掠賣神は本朝烈女伝に伴代の女とあり、霊峰胎蔵山の麓楯山に嫁いで 幾ばくもなく夫が亡くなり、親族が再嫁を勧めるが節を守って、遂に髪を落として 尼になり、夫の墓の側に蘆して持戒精進する。 その事が遠く京都に聞こえて、貞観十五年にその貞節を称えて位二階を賜わる。 そして家の租税を免じて、善行を村の入口に掲示する。 小掠賣没後のこの様なすばらしい御徳を愈称えようと、 村の父老相はかって祠堂を建て、木像をおさめて崇め祀ったと伝える。 社は以前、御堂の瀧付近にあったらしく、その後享保十八年平田元に遷され、 明治四十一年現在地に遷座、昭和四十六年社殿を新築する。 小掠賣神が胡麻を絶って願をかけたといういわれから、この地区では胡麻を植えず、 これを植えると不吉な事があると語り伝えられている。
酒田市楯山に鎮座する。 近くの工場で場所を聞いたが分からないようであった。 あまり地元の人に知られていないのか? 何度も迷った。
「楯山川を上流方面に見て右側」にあると覚えておけばいいだろう。 広い道が左に90度に折れる場所で、まっすぐ狭い道に入ればよい。
社号標には「国史見在社」とある。 当時は実在の人だったのだから厳密には違うと思うのだが。。。 社殿にはネットが張ってある。鳥よけであろうか?
以下サイトも参照されるとよいかもしれません。 サイト名『酒田市楯山だ!』 http://www.ic-net.or.jp/home/hirotosi/index.html 平田町楯山→楯山の歴史【小掠賣様の由来】
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内神駒形神社(駒ケ岳遥拝所) ( No.21 ) | |
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- 日時: 2012/10/20 10:17:19
- 名前: 御津垣 ID: .xsUARYA
- 内神駒形神社
【御祭神】馬頭観音 【鎮座地】奥州市水沢区
金ヶ崎の奥にある駒ケ岳に鎮座している 陸中国一の宮駒形神社の遥拝所として、横町の人々が分祀を願い出 勧請したものです。
水沢城主(留守家)から寄進地の一つとして、毎年祭祀料を受けていた 由緒ある神社です。
古くは城下六町の一つ横町一統の鎮座の神として祀られていました。
明治三十六年(1903)に駒形神社が水沢公園に遷座してからは、 辻山家の屋敷神のようになりました。
今も人々から「お駒さん」の名で信仰され、病気平癒などを願って 奉納された絵馬も多くあります。
祭神として馬頭観音が祀られています。
水沢市
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ご報告です! ( No.20 ) | |
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- 日時: 2012/10/12 12:22:47
- 名前: あず ID: onOZTyhY
- 参照: http://www.panoramio.com/user/2662284
- おつかれさまです。訂正情報です。
曰理郡 鹿嶋天足和氣神社 鹿島天足和気神社(亘理郡亘理町) 御朱印:あり 駐車場:あり(鳥居前に1〜2台、) 特記: そばの都市公園に駐車。 境内に鹿嶋緒名太神社・鹿嶋伊都乃比氣神社の石碑あり。 近くの八雲神社境内に三門山鎮座当時の石祠あり。
今日、宮司さんとお話してきたら、御朱印ありということでしたので頂きました! 地元の式内社3社でもらえたのは幸運の極みです( ´∀`)
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ご報告です! ( No.19 ) | |
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- 日時: 2012/10/09 08:20:08
- 名前: 御津垣 ID: GPX1quVA
- あずさん
有難うございます。 リストを修正致しました。 http://www.kaguraden.net/patio/read.cgi?mode=view&now=9&no=72
■No.18に対しての引用返信です。 >ご報告です! > >玉造郡 荒雄川神社 >荒雄川神社(大崎市鳴子温泉) >御朱印:あり >駐車場:あり(社殿前に少しあり) >特記: > 通称 荒雄山神社奥宮 > >玉造郡 温泉石神社 >温泉石神社(大崎市鳴子温泉) >御朱印:あり >駐車場:なし(近くに空き地あり) >特記: > 本務 荒雄川神社奥宮 > >荒雄川神社奥宮・温泉石神社を兼務する宮司さんのお宅は川渡温泉にあるので、 >いただく際は電話で事前連絡してみたほうがいいかもしれません。 > >宮司さんのお宅は、以前は鬼首の荒雄川神社嶽宮のそばにあったそうですが、 >鳴子ダムをつくるために現在地に引っ越して、昔の家の場所はダムのそこにあるんだそうです(´・ω・`) >自宅からは荒雄川神社へ向かうには距離があるので、冬場の奉職が大変だと仰ってましたねぇ…。
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ご報告です! ( No.18 ) | |
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- 日時: 2012/10/04 15:55:08
- 名前: あず ID: ADFe0hyY
- 参照: http://www.panoramio.com/user/2662284
- 編集: 【回数】 1回
【名前】 あず 【最終日時】 2012/10/08 00:28:32
- ご報告です!
玉造郡 荒雄川神社 荒雄川神社(大崎市鳴子温泉) 御朱印:あり 駐車場:あり(社殿前に少しあり) 特記: 通称 荒雄山神社奥宮
玉造郡 温泉石神社 温泉石神社(大崎市鳴子温泉) 御朱印:あり 駐車場:なし(近くに空き地あり) 特記: 本務 荒雄川神社奥宮
荒雄川神社奥宮・温泉石神社を兼務する宮司さんのお宅は川渡温泉にあるので、 いただく際は電話で事前連絡してみたほうがいいかもしれません。
宮司さんのお宅は、以前は鬼首の荒雄川神社嶽宮のそばにあったそうですが、 鳴子ダムをつくるために現在地に引っ越して、昔の家の場所はダムのそこにあるんだそうです(´・ω・`) 自宅からは荒雄川神社へ向かうには距離があるので、冬場の奉職が大変だと仰ってましたねぇ…。
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岩手県神社庁気仙支部 御朱印帳 ( No.17 ) | |
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- 日時: 2012/09/16 23:16:11
- 名前: 御津垣 ID: pnae01jE
- 編集: 【回数】 1回
【名前】 御津垣 【最終日時】 2012/09/19 16:29:52
- そうですね。
鹿島灘に漂着した神札(「諏訪大明神祈祷神璽」)を預かり 鹿島神宮社務所で一旦保管し、その後諏訪大社に移されて保管。 京都の平野神社宮司が、ボランティアで訪れていた 月山神社の禰宜さんとの話から判明、鹿島神宮に連絡して 諏訪大社から返却でしたよね。
すごく名だたる大社が絡んでいます。
月山神社では、多くの方が参篭所に避難され、 諏訪神社宮司の奥さんも陣頭に立たれて動かれていたようです。
宮司さんは車で移動中に津波に巻き込まれてしまったらしいです。 大変残念なことです。
■No.16に対しての引用返信です。 >気仙町の諏訪神社は、たしか不思議なご縁で鹿島神宮そばの海岸に諏訪神社の神璽が流れ着いたという話があった神社ですね。 >宮司さん、亡くなられていいたんですねぇ…。
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