橘郷造神社(茨城県行方市羽生)の参拝記
常陸国式外社 郷造神 | |
神社名 | 橘郷造神社(たちばなごうぞうじんじゃ) |
鎮座地 | 茨城県行方市羽生1390 |
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橘郷造神社(茨城県行方市)の御祭神
弟橘姫命(オトタチバナヒメノミコト)
木花開夜姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)
橘郷造神社(茨城県行方市)へのアクセス
駐車場:入口付近のスペース
最寄駅:かなり遠い高浜駅(JR常磐線)
橘郷造神社(茨城県行方市)の由緒
案内板由緒
弟橘姫命(オトタチバナヒメノミコト)、木花開夜姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)を祀るこの神社は、「日本三実録」にも登場する古い歴史を持ち、また、「吾妻鏡」には、源頼朝がこの周辺地域である橘郷を鹿島神宮へ寄進したことが伝えられている。
この神社は、羽生地域を含む鹿島神領橘郷の鎮守として、人々の信仰をうけ、江戸時代以降は羽生地区の村社となっている。
社殿は、応仁・文明の兵火にあい一度焼失してしまったとされ、現在のものはそれ以後の再建であると考えられている。
本殿は、南向き流れ造り、間口1.5間、奥行1.7間、2.55坪で、屋根はのちに銅板葺に改めたが、古い社殿の建物として、昭和五十年町指定文化財となる。
橘郷造神社(茨城県行方市)参拝記
橘郷造神社は茨城県行方市、茨城空港の南、大和田羽生線の県道360号沿いに鎮座する。
県道沿いに駐車場らしきスペースがあるが、ロープで封鎖されているので、境内入口前の路肩に停めた。
参道入り口へ向かうと、左側には道祖神があった。
道祖神の向いには、宮路久子氏作の彫刻像。
台座には『伝説 弟橘姫(おとたちばなひめ)』とあり、次のような伝説が彫られていた。
伝説 弟橘姫(おとたちばなひめ)
倭武尊(やまとたけるのみこと)が、東国征伐に船で相模国(神奈川県)から上総国(千葉県)に渡るときでした。海が荒れ狂い、今にも船が沈みそうになりました。女の人が船に乗っているため、海の神の怒りによるものと、弟橘姫は自らいけにえとなって、あらしの海に飛び込みました。すると、荒れ狂っていた海が静かになり、倭武尊たちは無事たどりつくことができました。
それから何日かのち、弟橘姫の髪にさしていた笄(こうがい)が、霞ヶ浦に流され岸辺に打ち上げられました。流れついた笄を守るかのように鳥が群がっていたり、その笄は羽を生やして飛んだともいわれています。笄の飛んでいったところを笄崎と名付け、神社を建てて笄を納め、弟橘姫の霊を祀ったということです。
羽生や立花(橘)という地名は、こうして生まれたと言われています。
宮路久子氏の彫刻像は鴨ノ宮・霞ヶ浦ふれあいランド・玉清井・化蘇稲荷神社・夜刀神と椎井池・荒原神社と常陸国風土記の伝承がある地にあり、神社にも多くある。
参道は細長く、国道側はビュンビュン飛ばす車が多く、通るたびについ目で追ってしまう。
参道を進むと、右側に名称不明の境内社。
ちょっと離れて境内社の左側に手水舎。
参道を歩いてやっと鳥居に。
鳥居を潜った社殿前には燈籠くらいしかなく、開けている分閑散とした感じもする。
拝殿は見た目新しい。
社殿は古い建物で文化財になっているとあったが、社殿は本殿のことなのかもしれない。
元々本殿だけだったところに、拝殿を後から建てる場合もあるので。
社殿左側に境内社があり、少し太めの木の根元には石に笠が付けられていた。
鹿島神宮と深いかかわりがある土地なので、要石的な意味なのだろうか。
境内社は石宮の境内社が数社並んでいる。
名称は不明。
本殿は中々古社の風格がある。
行方市の指定文化財になっている。
そういえば、本殿の裏側に石があった。
埋まっているようではなく、ポンと置いてある感じだ。
最初は要石的なものかと思ったが、見た感じは力石のような・・・たまたま置いただけかもしれないが。
もしかしたら、木の下にあった仮屋のようなものがあったのかも。
社殿前の右側には城山稲荷神社が鎮座している。
羽生城の一角にある「城山」というところに稲荷社があるが、恐らくその稲荷社の分霊社だろう。
橘郷造神社は、常陸国風土記にも記載されている古社。
三代実録に記載されていて、式外社である郷造神の論社(他に雲井宮郷造神社がある)。
他に参拝者も無く、歴史ある古社での時間を独り占めできた。