大橋八幡宮(栃木県栃木市)の参拝記
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下野国式外社 綾都比神社 | |
神社名 | 八幡宮(はちまんぐう) |
鎮座地 | 栃木県栃木市都賀町大橋589 |
大橋八幡宮(栃木県栃木市)の御祭神
誉田別命(ホンダワケノミコト)
配神
気長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)
武内宿禰命(タケシウチノスクネノミコト)
参考
大綾津日神(オオアヤツヒノカミ)
大橋八幡宮(栃木県栃木市)へのアクセス
駐車場:集会場の駐車場
最寄駅:家中駅(東武日光線)
大橋八幡宮(栃木県栃木市)の由緒
栃木県神社誌由緒
天保七年丙申(1836)年、今の古峯に遷座し、土地の鎮守様として崇敬された。現在の本殿・拝殿・幣殿は共に明治時代の創建である。神輿舎は昭和35年に建てられた。大祭の奉仕者は、幼児・児童を中心に斎行される。気長足姫命・武内宿禰命を配祀し、境内地には稲荷神社・惣社神社・金山神社・大杉神社を奉斎する。
大橋八幡宮(栃木県栃木市)参拝記
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大橋八幡宮は、栃木県栃木市、赤津川の西、東北道高速東側のそばに鎮座する。
駐車場は神社前に集会所があったので、そこに車を停めた。
少し小高い丘に鎮座する神社だ。
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一の鳥居は両部鳥居。
八幡宮の額は古く、鳥居とマッチしていないので、元々の鳥居は違う鳥居だったのかもしれない。
神社の中には、鳥居の耐久的意味合いで両部鳥居にすることがあるからだ。
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境内に入ってすぐに石段がある。
左側には石碑があった。
石段の登り口のところは、鳥居なのだろうか?
絡みついたのかわからないが、葉のアーチ状になっている。
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拝殿で参拝する。
古い小屋のような社殿。
明治時代のもので、神社としては古い社殿では無いが、個人的には風格があり好きな方だ。
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本殿は覆われているものの、隙間から観れる。
特別大きいわけでもなく、地方によくある本殿だ。
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社殿の左右には境内社が鎮座している。
左側には神庫なのか、大谷石のようなブロックで作られた建物。
その右側には朱の三社。
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社殿右側にある境内社。
こちらも朱の三社があり、その右側には注連縄がある石祠。
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大橋八幡宮は兼務社なので、宮司さんは常駐していない。
御朱印の有無は未確認。
大橋八幡宮は三代実録に記載されている綾都比神の論社になっている。
式内社や神名帳記載神社が詳しく掲載されている、神社覈録の下編には次のように書かれている。
神社覈録 下編
綾都比神社
祭神大綾津日神
都賀郡大橋村に在す、綾津日八幡宮と称す(下野国誌)
神社覈録によると大橋八幡宮は、かつて綾津日八幡宮と呼ばれ、祭神も誉田別命ではなく大綾津日神ということになる。
晃石神社が下野国式外社である、鏡石が輝いたことから綾都比神と付けられたという説もある。
しかし、下野国誌には相殿に八幡宮を祀ると書いてあったので、相殿が八幡信仰により主になってしまった可能性も充分ありえる。
綾都比神は禍津日神のことで、祓戸の神。
また、本居宣長や平田篤胤は、禍津日神は瀬織津比賣神と同神であるとしている。
式外社として根拠がかなり薄い神社かと最初は思ったが、中々興味深い神社だった。