羽盡神社(埼玉県川口市)の参拝記
神社名 | 羽盡神社(はぞろじんじゃ) |
鎮座地 | 川口市大字芝5379-1 |
御朱印 | あり(要連絡) |
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羽盡神社(埼玉県川口市)の御祭神
説1:羽明玉命(ハアカルタマノミコト)
説2:天児屋根命(アメノコヤネノミコト)
説2:太玉命(フトダマノミコト)
羽盡神社(埼玉県川口市)へのアクセス
駐車場:不明
最寄駅:蕨駅(JR京浜東北線・上野東京ライン・高崎線)
羽盡神社(埼玉県川口市)の由緒
案内板由緒
当社は、江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』によると、「波曾呂社は、本郡の古社にして祭る所羽明玉命なり、日本書紀に須佐之男命将昇天時有一神号羽明玉此神奉迎而進以瑞八坂瓊之曲玉故須佐之男命持其瓊玉而到之於天上也と一書の文を載せたり、されど鎮座の年代詳かならず、天児屋根命太玉命の二座を祭れる社なりと未だ何れが正しとすることを知らず、今神体とする所は径六寸の円鏡にて、建武二年(1335)の銘文あり」と記されています。
社領の御朱印状は、徳川家康が天正19年(1591)に発給、武州足立郡大明神社領として十五石を安堵したものにはじまり、以来、代々の将軍により、社領は朱印地として安堵されてきました。このことからも本社が旧芝村の鎮守として、いかに格式のあるものであったのかを知ることができます。
羽盡神社(埼玉県川口市)参拝記
羽盡神社は埼玉県川口市、川口市役所芝支所から産業道路を南東に下った、芝宮根交差点のそばに鎮座する。
駐車場はわからなかったので、路駐して参拝することにした。
鳥居を潜り、境内へ入る。
境内に入ってすぐ左側には、猿田彦大神の石神。
参道の右側には手水舎。
向いには稲荷社だろうか、小さなお社がある。
手水舎の隣にはご神木。
イチョウの木で、保存樹にもなっている。
拝殿前の狛犬。
まだ新しい狛犬で、表情に怖さはない。
拝殿で参拝。
拝殿をみると、まだ新しい社殿だ。
平成元年に新築されているそうだ。
本殿は正面以外は拝見できる。
老朽化により修繕されているのだが、白い部分の祝詞殿を本殿にくっつけた感じだ。
川口市指定文化財になっている。
羽盡神社には神器として、県指定文化財の『秋草双雀鏡』が奉納されている。
境内案内板には図柄が描かれていて、説明がつけられていた。
秋草双雀鏡
この鏡は神器として当神社に奉納されたもので、直径19cm、厚さ1mm(縁の厚さ3mm)の円鏡である。鏡背に施された図様は、その名の通り秋草の乱れる中で二羽の雀が飛び交う様子が見られ、右上部には、禾本科植物の一草にとまる一匹のこおろぎ、その下をうねり流れる小川のせせらぎ、といった写生的な構図をとっている。鏡面には次の銘文が刻まれている。
「奉納神器 武蔵国足立郡芝阜杜 号 羽盡 曽呂比此云波 大明神及羽明玉神也縁起之 書先年遇 池魚之決 予 恐 後人竟失 神号因録 之如此而己維持 建武弐歳乙亥春三月十五日 大中臣実氏敬白」
銘文の内容は、先年羽盡神社の縁起が亡失してしまったので、後世の人のためにその神号記しておくというものである。建武2年(1335)の年紀が入っているが、文体は後世のものとされている。
残念ながら一般公開はしていない。
実物の写真は川口市立文化財センター 川口市の文化財に掲載されている。
本殿右側には石碑が並んでいる。
中央は浅間大神。
右側は御嶽神社で、左側は「横溝」「藤根」という文字はわかるが、他がよくわからない。
御神木の奥にあるのが荒波々喜社。
武蔵国足立郡にアラハバキ神を祀る神社が多いのは、恐らく大宮氷川神社の摂社である門客人社からの分霊であろう。
祭神とされているテナヅチとアシナヅチというのは、元々荒脛だったのを門客人社へ変更してからの後付。
中氷川である中山神社には門客人神社(私が参拝した時は荒脛神社)があり、つまり氷川神社が重要な位置付けをしていた神社であることがわかる。
なので、氷川神社の分霊社には多くのアラハバキ社が現存している。
前にちょっとアラハバキ神を調べたとき、宇宙の神とか書いてあったのを覚えている。
都市伝説にピッタリな謎のアラハバキ神は、製鉄や採掘といった鉱石と関わりがあると云われているが、それが本当なのかどうかは確認されていない。
社務所は兼務社なので無人。
御朱印はあるが、頂ける曜日と時間があるので連絡したほうがいい。
朱印といえば、羽盡神社に徳川家の朱印状が文化財になっている。
羽盡神社は、かつては羽曾呂社と呼ばれていた。
祭神の説は2つあるが、珍しい祭神の羽明玉命だと個人的に思う。
荒波々喜社が境内に鎮座しているので、好きな方には参拝をオススメしたい。