埼玉県の参拝神社

廣野大神社【埼玉県児玉郡神川町】

2018年12月1日

廣野大神社(埼玉県児玉郡神川町)の参拝記

廣野大神社
廣野大神社御朱印
上野国神名帳 緑埜郡:廣野明神
神社名廣野大神社(ひろのだいじんじゃ)
鎮座地埼玉県児玉郡神川町肥土380
御朱印あり







廣野大神社(埼玉県児玉郡神川町)の御祭神

天穂日命(アマノホヒノミコト)
倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)
誉田別命(ホンタワケノミコト)
配神
駒形神(コマガタノカミ)
菅原道真公(スガワラノミチザネコウ)

廣野大神社(埼玉県児玉郡神川町)へのアクセス


駐車場:境内にあり
最寄駅:丹荘駅(JR八高線)

廣野大神社(埼玉県児玉郡神川町)の由緒

さいたまの神社由緒

  当社の鎮座する肥土の地は、武蔵・上野の国境となっている神流川の流れが変わったために、元禄十四年(1701)から武蔵国に属するようになった。上野国に属していた時は、緑野郡土師郷の内であった。土師郷の名が示す通り、この地には土師部が居住した所で、かつて地続きであった神流川対岸の藤岡市本郷には、土師神社が祀られ、神流川沿いには多くの古墳群があり、古代の土師部の活躍がうかがえる。  当社の社宝として、上野国司が作成した国帳で永仁六年(1298)に改写された『上野国神名帳』一巻が蔵されている。これに載る緑野郡十七座の内「従三位廣野明神」が当社に比定されている。その創建については諸説あり、『児玉郡誌』には「淳仁天皇の御字、天平宝字三年(759)上野国司の創立なりと云ふ」と記すが、『明細帳』には「一条天皇御字正暦五甲午年(994)創立」とある。主祭神は天穂日命・倉稲魂命・誉田別命で、駒形神・菅原道真公を配祀する。天穂日命は土師連の祖とされることから、当社も土師部が創祀したと考えられる。ただし、天正十年(1582)関東管領滝川一益と小田原北条氏との神流川合戦の際、当社は兵火を被り、社殿や古記録を焼失したため、明確な資料がない。その後の社殿造営については、焼失後数年を経た文禄元年壬辰(1592)に「従三位廣野明神社再建」の棟札が残る。これには芦田右衛門太夫が武運長久を願って大願主となり、氏子が建てたことを別当の広栄坊が記している。ただし、文禄元年の改元は十二月のためこれは後年のものと思われる。  本殿は三間社流造りで、内陣にはそれぞれに幣束と神鏡が奉安されるほか、三体の古い木像も奉安されている。なお、この木像は、十二年に一度の子年の例祭に合わせて、御開帳が行われている。  当社の社号は、『上野国神名帳』にあるように、「廣野明神」と記され、神流川の自然堤防上の当地と、周囲に広がる氾濫原の風景から付けられた社号である。しかし、当社は化政期(1804-30)には『風土記稿』に見られる「八幡天神駒形明神合社」と号し、更に『郡村誌』には「神流川神社」と記載されている。社殿の背後に「奥宮」と呼ばれる神流川神社(祭神天穂日命)を祀ることを考え合わせると、三間社の本殿は八幡天神駒形明神合社として造営し、廣野神社を奥宮とした経緯が考えられる。それが、明治三十九年の郷社昇格に際し、神名帳に載る社号に戻したものと思われる。  当社の祀職については、江戸期は真言宗神流山不動院善明寺が別当を務めていた。善明寺は慶長四年(1599)僧広順坊の開山と伝えられている。明治の神仏分離により善明寺の管理を離れ、土師真守が神職となり、以来、真吾・秀夫と継いで、現在に至っている。

廣野大神社(埼玉県児玉郡神川町)参拝記

廣野大神社
廣野大神社

廣野大神社は、神流町役場の北西、神流川の東に鎮座する。

駐車場は境内右側にスペースがあるので、車数台停められる。

 

一の鳥居からは、細長い参道が伸びている。

参道の中央は思ったより段差で高くなっていて、車高が高くない車は下を擦るくらいというか擦った。

しばらく進むと二の鳥居がある。

廣野大神社
廣野大神社

二の鳥居を潜ると、左側には神楽殿。

そして、神楽殿の隣には境内社が並んでいる。

左から野原神社・太元神社・産泰神社・倭文神社・若宮八幡神社。

廣野大神社
廣野大神社

五社の石宮の右側には三社の石宮が鎮座している。

左から八坂神社・琴平神社・摩多羅神社。

摩多羅神社は、念仏の神で摩多羅神を祀っているのだと思う。

大きいお社は、三社並びの斜め前の社殿左側にある今宮神社。

廣野大神社
廣野大神社

社殿右側には稲荷神社が鎮座している。

稲荷神社の右側には御神木。

御神木の手前には四社の石宮があった。

左側から、住吉神社・伊勢神社・千勝神社・戸隠神社。

拝殿で参拝する。

のどかな境内の端っこでは、車の中で昼寝している仕事中の方々が。

どうやら昼寝スポットのようだ。

本殿は覆われていて、まったく見えない。

さいたまの神社を読んでみると、本殿は三間社で、八幡天神駒形明神合社として造営しているそうだ。

廣野大神社
廣野大神社

本殿の後方には、神流川神社が鎮座している。

この石宮が奥宮になっていて、廣野大神社が一時神流川神社の名称だった時代がある。

その奥は中澤家の氏神が祀られている。

 

廣野大神社は、かつては神流川の流れで上野国に属していたという。

緑埜郡土師郷で、この地は土師部が居住していた。

別当だった善明寺を離れてからは、土師家が宮司を務めている。

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