埼玉県の参拝神社

五明天神社【埼玉県児玉郡上里町】

五明天神社(埼玉県児玉郡上里町)の参拝記

五明天神社【埼玉県上里町】
延喜式内社(武蔵国賀美郡:今城青八坂稲實神社)
神社名天神社(てんじんじゃ)
鎮座地埼玉県児玉郡上里町五明871

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五明天神社(埼玉県児玉郡上里町)の御祭神

稚産霊神(ワクムスヒノカミ)
豊受氣毘賣神(トヨウケヒメノカミ)
大山祇命(オオヤマヅミノミコト)
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)

五明天神社(埼玉県児玉郡上里町)へのアクセス


駐車場:境内(五明集会所前)
最寄駅:神保原駅(JR高崎線)

五明天神社(埼玉県児玉郡上里町)の由緒

さいたまの神社由緒

 五明は、利根川支流の神流川の右岸に位置する。地内には、五明古墳群をはじめ、奈良・平安時代の集落跡が多数発見されており、奈良時代の布目瓦を有する廃寺跡も存在する。  『明細帳』に「創立不詳、本社ハ延喜式内当国四十四座ノ一ニシテ今城青八坂稲実神社トナリト云伝フ(以下略)」と載せられている。また、当社に伝わる文書から、天保三年(1832)に上州新田郡の岩松満次郎が、同家の家紋である中黒紋の付いた幕と高張提灯を今城青八坂稲実大明神(当社)に寄附したことが知られる。今城青八坂稲実神社の社名は、稲霊を賛美した名称で、稲作信仰に基づくものであるとされる。ただし、児玉郡内には式内社の今城青八坂稲実神社に比定される神社が当社を含めて六社あり、定かではない。  『風土記稿』五明村の項には「丹生社・天神社以上二社を村の鎮守とす、大福寺持なり」とある。丹生社は、用水を隔てて当社の東、現在の集会所の建つ場所に鎮座していた。『郡村誌』に「月読命を祭る、万寿元甲子年(1024)九月藤原知近創建す」と記されるが、明らかではない。また、別当の大福寺は真言宗の寺院で、同寺を開山した快尊は万治四年(1661)に没したと伝わる。  当社は、明治初年の神仏分離により大福時の管理を離れ、明治五年に村社となった。また、明治四十二年には丹生社を合祀した。

五明天神社(埼玉県児玉郡上里町)参拝記

五明天神社【埼玉県上里町】
五明天神社【埼玉県上里町】

天神社は、埼玉県児玉郡上里町の関越自動車道上里SAのすぐ南に鎮座する。

駐車場は、境内右側の五明集会所のところに停められる。

集会所に行かない車が多く駐車していたが、天神社へ向かうのは私だけだった。

参道を戻り、一の鳥居から二の鳥居へ。

二の鳥居は両部鳥居だったのだが、下の部分だけ朱になっていた。

後から付けたのだろうか。

五明天神社【埼玉県上里町】
五明天神社【埼玉県上里町】

鳥居を潜った参道左側に手水舎。

参道右側には石神が多くあった。

五明天神社【埼玉県上里町】
五明天神社【埼玉県上里町】

石神の左側には神楽殿。

昔は金鑚神楽が奉納されていたそうだが、今は行っていない。

その更に左側には石宮の境内社が並んでいる。

五明天神社【埼玉県上里町】
五明天神社【埼玉県上里町】

境内社の向い、参道左側に御神木がある。

その傍らに、石の柱があった。

あまり見たことが無いが、神宮遥拝塔という遥拝所が塔になっている。

五明天神社【埼玉県上里町】
五明天神社【埼玉県上里町】

拝殿前の狛犬。

よくみると、顔が大きくて厳ついのに愛嬌がある。

拝殿で参拝。

社殿は享保七年に再建されたもの。

社殿の手前には手水桶があった。

五明天神社【埼玉県上里町】
五明天神社【埼玉県上里町】

本殿は完全に覆われていて拝見できない。

御神体は67cmの石棒。

「えむぎしきない」「いまきあおやさかのかみ」と刻まれていて、明治時代に境内から発見された。

五明天神社【埼玉県上里町】
五明天神社【埼玉県上里町】

本殿の裏側に石宮が鎮座しているのは丹生社。

元々は集会所があるところに鎮座していたそうだ。

1024年に藤原知近創建と郡村誌にある。

かつて五明の鎮守様は天神社と丹生社であった。

 

御朱印の有無は確認していないので不明。

天神社周辺には古墳や遺跡があり、かつて豪族がこの地にいたことを証明している。

今城青八坂稲実神社の論社は天神社以外に六社もあり、正直何が何だかわからない。

どこかが本当の式内社なのか、全部違うのか。

真実は永遠の謎だが、推察はのちほど書いてみたいと思う。

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