五明天神社(埼玉県児玉郡上里町)の参拝記
神社名 | 天神社(てんじんじゃ) |
鎮座地 | 埼玉県児玉郡上里町五明871 |
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五明天神社(埼玉県児玉郡上里町)の御祭神
稚産霊神(ワクムスヒノカミ)
豊受氣毘賣神(トヨウケヒメノカミ)
大山祇命(オオヤマヅミノミコト)
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
五明天神社(埼玉県児玉郡上里町)へのアクセス
駐車場:境内(五明集会所前)
最寄駅:神保原駅(JR高崎線)
五明天神社(埼玉県児玉郡上里町)の由緒
さいたまの神社由緒
五明天神社(埼玉県児玉郡上里町)参拝記
天神社は、埼玉県児玉郡上里町の関越自動車道上里SAのすぐ南に鎮座する。
駐車場は、境内右側の五明集会所のところに停められる。
集会所に行かない車が多く駐車していたが、天神社へ向かうのは私だけだった。
参道を戻り、一の鳥居から二の鳥居へ。
二の鳥居は両部鳥居だったのだが、下の部分だけ朱になっていた。
後から付けたのだろうか。
鳥居を潜った参道左側に手水舎。
参道右側には石神が多くあった。
石神の左側には神楽殿。
昔は金鑚神楽が奉納されていたそうだが、今は行っていない。
その更に左側には石宮の境内社が並んでいる。
境内社の向い、参道左側に御神木がある。
その傍らに、石の柱があった。
あまり見たことが無いが、神宮遥拝塔という遥拝所が塔になっている。
拝殿前の狛犬。
よくみると、顔が大きくて厳ついのに愛嬌がある。
拝殿で参拝。
社殿は享保七年に再建されたもの。
社殿の手前には手水桶があった。
本殿は完全に覆われていて拝見できない。
御神体は67cmの石棒。
「えむぎしきない」「いまきあおやさかのかみ」と刻まれていて、明治時代に境内から発見された。
本殿の裏側に石宮が鎮座しているのは丹生社。
元々は集会所があるところに鎮座していたそうだ。
1024年に藤原知近創建と郡村誌にある。
かつて五明の鎮守様は天神社と丹生社であった。
御朱印の有無は確認していないので不明。
天神社周辺には古墳や遺跡があり、かつて豪族がこの地にいたことを証明している。
今城青八坂稲実神社の論社は天神社以外に六社もあり、正直何が何だかわからない。
どこかが本当の式内社なのか、全部違うのか。
真実は永遠の謎だが、推察はのちほど書いてみたいと思う。